第29期 #18

立ち止まるとき

 ポケットの中で指先に触れる。火照った手のひらに心地よい冷たさ。
軽く握ったあと、その滑らかな鉄の肌を指でなぞる。
つるりとした線に続く、やがて複雑な凹凸。中央の溝をたどればまた、平らな表面。
 鍵。

 小学生だった頃、僕は紐のついた家の鍵を首から下げていた。
それはとても大事なものだとよく言い聞かされ、僕もまたそれをなくす事を何よりも恐れた。
 十二月の冷たい風の中、あけることの出来ないドアの前に立ち尽くす僕自身を思い浮かべては、鍵を握り締める。
 やがて引越しが決まり、家は取り壊された。
 僕の手には鍵だけが残った。

 そして10年。
10年前の僕の見知らぬ町にいる。
 取り止めの無い事象が浮かぶに任せて、行く当ても無く僕は歩きつづけた。ポケットの中のその鍵をひたすらに玩びながら。
 20歳になった僕はどこへも行けるしどこへも行けない。
開けることも閉めることも出来ない鍵とどこか似ているのかもしれない。
 鍵は重くも無く軽くも無く、まるで魂そのもの。
 果てしない思考を引きとめる唯一の現実。
手とは裏腹に冷たい足先は、まるで空を歩くようにふわふわと頼りない、鍵の存在感以上の物がいつしか見当たらない。
 不思議なほど鍵は僕の手のひらの温度に沿うことは無く、いつまでも冷たく主張していた。
 開けることの出来るドアなどこの世界には存在し無い、二度と使われることの無い鍵を僕は強く握る。
刻まれた形がそのまま僕に残る。


Copyright © 2004 長月夕子 / 編集: 短編