第29期 #1

明日にさようなら

―お母さん、電車こないね
―田舎の駅だからねえ、ほら裕之、寒くない
―うん、ぼく平気だよ

ちょっと早すぎたかな、まだあと30分もあるし
私は裕之の手を取り、ホームのベンチに腰をおろした
線路端の小さな畑に雀が群れている
ここも全然変わらないや、昔のまんま
重ねた手から裕之のぬくもりが胸を充たす、あったかい
その胸に突然あの記憶がよみがえる
アイツ、ここから落ちた!

―ねえ、お母さん、なに考えてるの
―えっ、そうね……、昔の恋人のことかな
そういえば、アイツ、この子と同じ歳だった
ヒロユキ

三が日が明けた日だったな、1月4日、今日と同じ
両親は朝から仕事にでかけた、アイツんちも
留守番の私らはいつものようにここで遊んでたんだ
そして
アイツの最期の言葉、今でも忘れない、絶対に
―おれ、良江ちゃんが好き

そう言うとアイツは急に駆け出した
兎みたいに、でも後向きのまま
それでアイツ、線路に落ちた
その上を急行列車が駈け抜けた

あれから
私には色々のことがあった
この町を出て何年経ったろう
でもアイツの時は止まったまんま
私だけがこうして生きている、そんなの悲しすぎるよ
そして私は生まれた息子にアイツの名前をつけた

反対のホームで曖昧な警笛が鳴り、電車が動きだした
降りたのは女の子とその父親らしい男性
あの人、この辺の人じゃない、誰だろう?
二人は跨線橋を渡り、こちらのホームを歩いてくる
ベンチを立ち上がった裕之と女の子の影が重なった
あっ、あの日と同じ
男性の声がした
―良江、端っこを歩くと危ないぞ

えっ!
ヒロユキ? あんたなの? でも、あの時あんたは
分からない、ぜんぜん……
ふいに世界が真っ白く回転した

仰向いた目の前に真っ青なアイツの顔があった
―おばさん、良江ちゃんが目をあいたよ
―ああ、良江、よかった
涙でぐしゃぐしゃになった母の顔だった
―お母さん……、あたし
―線路に落ちたお前をヒロちゃんが引っ張ってくれたの
―でなきゃ、お前死んでたんだよ

ああ、それって、あたしだったんだ
ありがとう、ヒロユキくん
裕之……
君とは、さようならだ……ね

おしまい


Copyright © 2004 Tanemo / 編集: 短編