| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | 番を返します | テックスロー | 999 |
| 2 | 劣情 | なこのたいばん | 392 |
| 3 | リッキティッキタビー | euReka | 1000 |
「番を返します」
バスを待っていると前に並んでいた主婦が振り向きざま、手のひらをこちらに向けてそう言った。無視してやり過ごそうとしたが、主婦はこちらを向いたまま強い目つきでこちらに手を差し出す。腕にぶら下がる買い物袋に刺さった細葱が少し揺れる。
「番を、返します。あなたの番です」
バスが来た。並んでいた他の者はこちらに見向きもせずにバスに乗り込んでいく。断るように手で制し、「あしゃす」と無理やり順番を譲られたと解釈して主婦の脇を通り過ぎようとすると買い物袋を持たない手で俺の二の腕をつかむ。
「早く、あなたの番」
主婦は買い物袋を地べたに置くと財布を開き、そこからポイントカードの束を取り出してシャカシャカと切り始める。時折パチンパチンとカード同士が音を立てる。その時俺の頭にもぱちぱちと記憶の分子がはじける音がした。「番を返します」「一枚引きます」「8枚ドロー」「技宣言」自分のものではないがどこか懐かしい言葉たちが頭の中で反響する。
いつの間にか俺と主婦の前にはテーブルが置かれており、主婦の前には山札とトラッシュがあり、その間に彼女が今まで人生をかけて構築したカードが展開されている。主婦のデッキは日常で生じるほころびや、家庭でのいざこざ、夫との不和や子供の進学など、相当痛手を受けているが、いわゆる環境デッキというやつで、安定感があり、絶対に人生を生き抜くという気概があった。自陣を見ると、そこには俺が生まれてから今までトラッシュしたカードの山があった。ただ肝心の手札が一枚もない。山札も一枚もない。いやそんなはずは。俺はまだ23だ。
「どうぞ」と手刀を切るように主婦はまたこちらに手を差し出す。
人生はカードゲームみたいなものだ、と、読み進めると途中で有料記事(300円)に誘導してくる系の一般人のブログに書いていそうな言葉が頭をよぎるが、俺はそんな言葉に騙されはしない。体中のポケットをまさぐって俺は一枚のカードをやっとのことで取り出したった一枚の自分の手札を見る。俺は高らかに宣言する。
「サポートカード、選挙はがき。このカードは18歳以上のどのプレイヤーにも配られ、決まった期間に投票所で投票用紙と交換可能。さらにこのカードの効果で無職の俺は一歩外へ踏み出し、求人情報カードを山札から一枚選ぶ。高額紙幣カードを親の山札からドロー、髪を切り、服を整え、面接に向かいます。これで番を返します」
バイト先に綺麗なパートさんがいた。
外資系の会社で働く旦那と小学生の息子いる人だった。仕事中は何かと気にかけてくれて、ゆるく巻いた髪が揺れる時ふわっといい匂いがした。笑うと目尻に何本か皺ができるのがなんとも可愛らしかった。アップルウォッチを買った時に自慢してくる無邪気なところもたまらなかった。とうとう僕は彼女の中身など知りもしないまま彼女のことが大好きになったのだ。
ある夏の日、暑気払いを名目とした飲み会があった。テーブルの遠くに座る彼女と目が合うとにっこり笑いかけてくれた。愛していると思った。何を捨ててでも守りたいと思った。終電がなくなった。僕は童貞だった。
「君となら大丈夫だよね。」ホテルに入った。童貞ではなくなった。
朝を迎えた。旦那と子供を裏切ったこの女と一刻も早く離れたかった。仕事中アイコンタクトしてにっこり笑いかけてくる。あの目尻の皺が気持ち悪かった。
僕は大人になった。
『リッキティッキタビー』と看板に書かれているだけの古びた飲食店だ。
店内には誰も居らず、どうしようかと考えたが、私はとりあえず窓際のテーブル席に座ってみた。
メニュー表を開くと、カレーライスやナポリタンなどのメニューが書かれており、一番下に『あたしはここにいます――五百円』という変なメニューが。
「いらっしゃいませ」
突然声が聞こえてびっくりしたが、そこには白髪の若い女性店員が立っていた。
「この店は滅多にお客様が来ないから、お待たせしてすみません」
私は気を取り直したあと、『あたしはここにいます』とは何ですかと質問した。
「それは、実際に注文していただかないと内容をお教えできないことになっていますし、わたしも内容は知らないのです」
私は少し面食らいながら、何となく無難な感じがするカレーライスを注文した。
「インド人のシェフは五年前から行方不明なので、わたしが作る普通の日本式カレーですが……」
そんなの別に構いませんが、看板のリッキティッキタビーの意味は何ですか。
「ずっと前からある店名で、わたしも意味がよく分からないまま先代から店を引き継ぎまして……」
いや、何だか昔、リッキティッキタビーという言葉を聞いたことがあって、どんな意味だったかなと思ってこの店に入っただけです。
「あ、そういう変なことを聞いてくるお客様には『あたしはここにいます――五百円』を勧めろと、先代のお爺ちゃんが……」
じゃあ、まあ、カレーライスじゃなくて『あたしはここにいます』をお願いします。
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
そう言うと、女性店員は店の奥に姿をを消し、十分後に埃まみれの手帳を手にしながら戻ってきた。
「えーと、……リッキティッキタビーは、一九五六年代に発表されたSF小説の中に登場する少女のあだ名で……」
私は小説なんて全然読まないのに、なぜ気になったのかな?
「……二〇二六年に、リッキティッキタビーのことを聞いてくる男性がこの店に現れます。そしてカレーライスを注文し、店員のあなたと一緒に日本式のカレーを食べます……」
私と女性店員は、顔を見合わせた。
「……未来のことは詳しく書けませんが、この手帳を読んだあと、男性とあなたが一緒にカレーライスを食べないと、あたしはこの世界に生まれてこないことになってしまうのです。あたしの名前はリッキィで、あなたたちの時代から百年後の時代に生きていた少女です」