第286期 #1

番を返します

「番を返します」
 バスを待っていると前に並んでいた主婦が振り向きざま、手のひらをこちらに向けてそう言った。無視してやり過ごそうとしたが、主婦はこちらを向いたまま強い目つきでこちらに手を差し出す。腕にぶら下がる買い物袋に刺さった細葱が少し揺れる。
「番を、返します。あなたの番です」
 バスが来た。並んでいた他の者はこちらに見向きもせずにバスに乗り込んでいく。断るように手で制し、「あしゃす」と無理やり順番を譲られたと解釈して主婦の脇を通り過ぎようとすると買い物袋を持たない手で俺の二の腕をつかむ。
「早く、あなたの番」
 主婦は買い物袋を地べたに置くと財布を開き、そこからポイントカードの束を取り出してシャカシャカと切り始める。時折パチンパチンとカード同士が音を立てる。その時俺の頭にもぱちぱちと記憶の分子がはじける音がした。「番を返します」「一枚引きます」「8枚ドロー」「技宣言」自分のものではないがどこか懐かしい言葉たちが頭の中で反響する。
 いつの間にか俺と主婦の前にはテーブルが置かれており、主婦の前には山札とトラッシュがあり、その間に彼女が今まで人生をかけて構築したカードが展開されている。主婦のデッキは日常で生じるほころびや、家庭でのいざこざ、夫との不和や子供の進学など、相当痛手を受けているが、いわゆる環境デッキというやつで、安定感があり、絶対に人生を生き抜くという気概があった。自陣を見ると、そこには俺が生まれてから今までトラッシュしたカードの山があった。ただ肝心の手札が一枚もない。山札も一枚もない。いやそんなはずは。俺はまだ23だ。
「どうぞ」と手刀を切るように主婦はまたこちらに手を差し出す。
人生はカードゲームみたいなものだ、と、読み進めると途中で有料記事(300円)に誘導してくる系の一般人のブログに書いていそうな言葉が頭をよぎるが、俺はそんな言葉に騙されはしない。体中のポケットをまさぐって俺は一枚のカードをやっとのことで取り出したった一枚の自分の手札を見る。俺は高らかに宣言する。
「サポートカード、選挙はがき。このカードは18歳以上のどのプレイヤーにも配られ、決まった期間に投票所で投票用紙と交換可能。さらにこのカードの効果で無職の俺は一歩外へ踏み出し、求人情報カードを山札から一枚選ぶ。高額紙幣カードを親の山札からドロー、髪を切り、服を整え、面接に向かいます。これで番を返します」



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