第281期 #4

地下鉄とファーストフードと少女

 地下鉄の電車に入ると、床には「ここは地獄だ。言葉さえ通じない」というスプレーの落書き。
 車内はゴミのような匂いがするし、生きてるか死んでるか分からない人が横たわっていてたしかに地獄だ。
 しかし、言葉は通じるはずだと思って私は隣に座っていた男にハローと声をかけると、その男にいきなり胸ぐらを掴まれた。
「俺はハローという言葉が世界で一番嫌いなんだ!」
 私は声をかけたことに後悔した。
「ハローなんて、友達みたいに近寄ってきて相手を騙すだけの言葉だろ?」
 まあ今度あんたに会ったときは言葉に気を付けるよ、と私は言って男の手を何とか振りほどき、次の駅で電車を降りた。

 地下鉄の階段を昇って地上へ出ると、夜のネオンが眩しくて目が痛い。
 おまけに、暗い空から白い雪も降っていて死ぬほど寒い。
 私はくたびれたYシャツしか着ていないから、体温を奪われないために、とりあえず目の前にあったファーストフード店へ駆け込んだ。
 店のカウンターの奥には、店員らしき老人がパイプ椅子に腰掛けながら眠りこけており、私が声を掛けてもまったく起きない。
「ハロー!」
 そう声がする方を振り返ると、十歳ぐらいの少女が店の奥にある席からこちらを見ている。
 店はこじんまりとしており、老人とその少女以外誰もいない。
「そのお爺さんは二十四時間勤務で今は休憩時間なの。でも帰る家もないから店で眠ってるわけ」
 私は少し面食らいながら、熱いコーヒーを一杯頼みたいのだけど、どうしたらいいかと少女に質問した。
 すると少女は面倒臭そうに席を立ち上がって店の厨房に入り、三十秒後にコーヒーの入った紙コップを私の目の前に置いた。
 私は少女にお金を払って一度深呼吸をし、店のカウンターで熱いコーヒーをずるずると啜った。
「このお爺さん、たぶん昨日から死んでると思うんだけど、どうしたらいいかな?」
 まあ人間には寿命があるから仕方ないさ、と私。
「じゃあ、お爺さんの代わりにあんたがこの店で働いてよ。二十四時間勤務で給料もないけど、食べ物はあるから何とか生きていけるよ」
 ファーストフードを一生食べ続けるなんて、嫌だなあ。
「ねえお願い、このままじゃあたし一人ぼっちになっちゃうよ。ねえお願い、助けてよ」

 私は、行くあてもないから結局ファーストフード店で働くことになったが、客は一人も来ない。
 それに、少女は何年たっても歳を取らない。
 ただ、私が無駄に歳を取るだけだ。



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