第270期 #6

愛について

 二次会のどんちゃん騒ぎから抜け出して入るトイレは居心地がいい。さっきまでいた掘りごたつ席からは聞こえなかったBGMが今なら鮮明に聞こえる。

 便座に座って遠くの誰かの騒ぎ声を聞きながらスマホ画面を眺めていた。溜まった通知を一通り消して、先週インストールしたマッチングアプリを開く。楽しい時間が終わったときの、映画館を出た後みたいな寂しさが、私を映画の主人公のような気分にしていく。

 縦へ横へとスワイプすると、ぬるい背景色の画面の中を、異性の自己紹介文が滑らかに流れていく。そんな自己紹介文を眺めていると私はいつも「お前は自己表現が下手だな」と言われたような気分になる。

 あのバンドが好きで、あの漫画が好きで、写真映えするような休日を過ごしていて。タバコは吸わないし、年収はそこそこあって、バツイチだけど子供はいない。マッチングアプリには「行為の返報性」やら「単純接触効果」やら、いい感じの心理効果を満遍なくちりばめたプロフィールばかりがあって、そんな文章を書ける相手が羨ましくなる。

 スマホを閉じて薄暗いトイレの天井を見上げると、天井に埋め込まれた電球がとても眩しくて「まるで私の人生みたいだ」と思った。電球の明かりと私の人生の共通点は分からないけれど、映画の主人公である(酔った)私の頭脳をもってすれば、そんなことは些末なことだ。

 さっきまでいた掘りごたつ席に思いを馳せる。彼ら、彼女らはきっと私がいなくても周りの喧騒に負けないように楽しく喋っているだろう。私は居酒屋の薄暗いトイレで眺めるマッチングアプリが好きだ。そんな私の俗物的な楽園は、いま酒の力で一心不乱に喋っている友人たちに支えられている。

 そして私もトイレを出て席に戻れば、大声で喋り、大声で笑う友人の一部に戻っていく。私の俗物的な楽園は、そんな私にも支えられているのだ。



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