第268期 #1

白い壁

 ぼっと音がして蝋燭に炎があがり、タテオカの部屋を照らす。白い壁ががらんどうに感じる。なぜここにいるんだっけ。雨の湿った匂いがする。

 お昼頃、私は自宅の鏡台を見ていた。深紅の口紅をつけ、髭を整えた。本当は顎にも欲しいけど、ナマズ髭程度しか生えない。タテオカは太ももをよく見る。無意識だろうけど失礼だと思う。でも、気に入ってもらえるようにスカート丈は計算する。私はイメージが浮かぶと偶然を装って会いに行く。話すと自分が見える。

 初めて会ったのはオフ会らしい。覚えていない。タテオカは平均的な容姿だし、端で静かに笑っていて特徴がない。回を重ね気付いたのが輪の要にいることだ。人間関係が上手で人当たりがいい。私が悪目立ちすると、その度に流れを和やかに変えてくれた。

 寒くない?と渡されたタオルで髪をふく。会えたけど、雨に降られてタテオカのアパートに。手垢のついた流れを期待されても困る。話の続きする?心配をよそに気持ちを汲んでくれる。
さっき話したのは「自我の分散と膨張について」だ。蝋燭の炎と共にカーテンに映る影も揺らぐ。あの壁の色どこかで見たとぼんやり思う。

 どうして僕に聞くの?普段はしない質問をしてくる。いつも相手に寄り添うのに。タテオカの影が大きくなる。よく分からなくてと答える。自分の事なのに?部屋にいるタテオカは別人に見える。私は頷く。壁の色は庭先にある花に似ている。春を知らせる可憐な花。名前は…。

 僕の何を知っているの?鋭い声が響く。突然に心が弾ける。確かに私は表面的な部分しか知らない。雨が降ることは本当は知っていた。会えばこうなる展開も分かっていたのか、もっと奥を知りたかったのか。私は自分の事もよく分からない。

 いつまで壁でいればいいの?炎に揺らぐタテオカの目は、雨に濡れたままか高揚か光っている。それは、泣いているような、怒っているような、笑っているようにも見えた。

 大きな影が壁に屈折している。その影からもう一人タテオカが出てくる。そばにいたタテオカと重なり一体化する。全身震えている。震えた手で私の頬を撫でる。ナマズ髭に移動し、さらに深紅の唇をなぞる。声が出ない。黙ってタテオカの目を見る。いつもなら視線を外すのに逸らさない。そのまま顎に触れ、首で止まる。喉を触る力が強くなっている気がする。
そうだ、花の名前はスノードロップ。花言葉は希望、恋の最初のまなざし、あなたの死を願う。



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