第265期 #8

私である私

 きっかけは些細なことだったように思う。道端の小さな縁石にけつまずいたか。いや、ただよろめいただけだったかもしれない。パーンという陸上競技のピストルのような音がしたと同時に、意識が途切れてしまった。
 目覚めると私のなかだった。いや、それだと通常時との違いがわかりづらいかもしれない。要するに、自分の主導権がとれなくなっていたのだ。自分のなかにいて、自身の五感で周囲のことも自分のこともわかるが、身体も判断も、自分の意思では動かせなくなっていた。
 私の代わりに主導権をとっているのも私だ。自分のことだからわかる。いま焦りながら周囲に応対しているのは私である私。第二の私だとか、偽の私だとか、そういうものでもない。それが証拠に、自分と同じ理由で戸惑い、自分と同じような失敗を重ねている。焦っては事態を悪化させる選択を招いているのだ。それをやっちゃ駄目なんだよなと思いながら見ていると、はかったようにそのとおりのことをして、結果的に窮している。
 自分のことながら、困ったやつだと思う。けれども、自分が代わってやるからそこをどけ、とも言えない。どのみち私なのだ。同じ箇所でつまずき、同じ選択をして、同じように失敗するのだ。とってはいけない選択肢はわかっていても、その代わりの選択肢は見えない。同じことを繰り返すだけなのだ。
 私である私が、ひとりで途方に暮れている。喉が渇いているようだと思っていると、すかさず冷蔵庫から買い置きの甘いジュースを取り出し、ひと息ついている。落ち込んだときの対処法もまったく同じだ。糖分重要だよね。
 私を通して見る周囲は、私自身の目で見ていたときと変わりない。自分のお気に入りで埋め尽くした部屋。玄関の外に広がるのは、お気に入りの風景。冬の寒さのなかを散歩しながら、白い息を吐いて吸う。その冷たさもお気に入り。
 なんだかんだでけっこう幸せだと思わない? 声の届かない私に向かって語りかけるが、私である私は返事をしない。
 わかるよ。自分のことで手一杯だものね。
 私のなかには私が溢れている。何番目の私だとか、過去の私の残滓だとか、名づけ方は何でもいい。ぎゅうぎゅう詰めで歪な形になっているたくさんの私たちが、私である私を見守っている。
 私はいつもどおり適切とは言えない選択肢をとりながら、いつもどおりそのフォローに走り回っている。そして、私だった私たちと一緒に、盛大なため息をつく。



Copyright © 2024 たなかなつみ / 編集: 短編