第262期 #2

気候変動から地球を守るために、今すぐ行動を起こそう

「心頭滅却俱楽部」出身だと聞いたからとんでもなくタフな奴だと思いきや、新しいバイトは三日目で来なくなった。
「心頭滅却倶楽部から来ました、柄木田育英(からきたいくえー)です!」
 面接で黒いスーツに身を包んではきはきとあいさつをしていた。名前の最後はよくわからない、いくえか、いくえいなのか。どちらとも取れる発音だった。
「女です!」
 と聞かれてもいないのに「いくえー」は続けた。センシティブな時代なのであまりそういうことには触れないでおこうと思ったが(じゃあ名前の読みはいくえかな? いやいやそうとも……)本人が女というのであれば就業上女性として扱うことが求められるだけで、それ以上の何かがあるわけではなかった。今どき女ですと自己紹介する人も珍しいなと思った。それよりも心頭滅却倶楽部が気になったので活動の中身について促すと、柄木田はそれまでのはきはきリクルートな表情を一変、無の表情を見せた。
「ははあ、耐性系ですな。ではそのまま外へ」
 いくえーは分かりました、とクールな表情で外へ出た。外気温は摂氏五十度を超える。俺は外に出る意味はないので部屋の窓からいくえーを見ることにした。照り付ける直射日光に向かって手をかざし、いくえーの腕や首筋から汗が噴き出す。そのうちにいくえーの口がぱくぱくと動き……あれは、「アネッサ」と、唱えている。
 ちょうど十分していくえーは部屋に入ってきた。汗をかいているがとても涼し気な表情だった。
それが、三日で来なくなった。最後の日、いくえーは太陽に向かって対峙し、一日中「アネッサ、アネッサ」と唱えていた。汗はスキニーパンツに染み込んだ。日の入り五分前にいくえーは「アネッサ!」と叫ぶとその場に倒れ、次の日から来なくなった。
 その日以来、朝焼けと、夕日の時間が長くなった。午前十一時くらいまで朝焼けで、その後太陽は流れ星のように西の空に逃げ、午後一時くらいからもう様子をうかがうように真っ赤になった。そんな夕日を見ていると、なんとなく、いくえーが女です、と自己紹介した意味が分かった気がした。夕日はずっとこっちを見ていた。俺は夕日に向かいかぶりを振り、いくえーはもう来ないよ、と言った。
庭に出ると涼しさを感じた。デッキチェアに腰かけウイスキーのロックを夕暮れに透かせながら、たぶん俺は今、無の表情をしているんだろうなと思った。



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