第244期 #9
紹介された娘の彼氏というのがどうも頼りなく、本人もそれを自覚しているのか甲高い声のトーンを意識的に落として何やら話し出す。前情報では「何でも言うことを聞いてくれる」彼氏だというが、なるほど、気の強い娘が好みそうなのもうなずけた。長身に柔らかな物腰、留学経験もありテーブルマナーも備えており、ぎこちなさはないが、その所作ひとつひとつ、選ぶ言葉のひとつひとつがいちいち許可を仰ぐような雰囲気を持っており、それが娘には優しさに映るのだろうが、親としてはどうしても厳しめに見てしまう。
娘を甘やかせたことで困ったことは一度もないし、それで困らないだけの財力はある。その気になれば贅沢はいくらでもさせてきた。金持ちの見分け方、分けても本物の金持ちとメッキの違いは十分に叩き込んできた。もちろん言葉で諭すような無粋な真似はしない。備わった感覚に従わせ、それを成長させるような環境に置いてきた。
本物の金持ちは組織である。家格とはその組織の方向性を決定づけるものだ。方向性とは倫理と読み替えてもいいだろう。金持ち同士の結婚はこの倫理のぶつかり合いの処理が最も難しい。ではどうするか。うちは金持ちだが、大金持ちではない。娘は本当によく育ち、正解を選んできた。適当な、善良な男を選んで染めてしまえばよいのだ。
「……です」
はたから見れば慎み深い母親に見えているのだろうか。彼氏の話を傾聴するふりをして全く別のことを考えるこの姿が。
「すごいでしょ、お母さん」
「ええ、そうね、素晴らしいわね」
と娘に答えたものの彼の話は全く聞いていない。何が素晴らしいかと言えばこうして女系家族にまた一人忠実な番犬が入ってくること以上のことがあろうか。時計を見る。少し早いが次の予定先に向かおう。意識的に口角を上げて
「ごめんなさいね、私はこれで失礼するわね。朱里、素敵な彼氏じゃないの。また今度詳しく聞かせてね」
目を丸くする二人を後にドアのほうに歩く。
「……気に入ってもらえたのかな」
「そうに決まってるじゃない、じゃなきゃ『素晴らしいわね』なんて言わないわよ」
「施設の説明しているときも、俺のことじっと見てるもんだから、さすがに緊張したよ」
「こんなに緊張するの婚約の報告以来ね……ほら、早く玄関いかないと、お母さんまたどこか出て行っちゃうよ」
「お義母さん! 待ってください! 急がなくったって施設は逃げて行きゃしませんからね」