第241期 #2
何ものにもなれるのが売りの箱庭なのに、昔ながらのヒトの形を維持した形態でなければならないという。天辺に頭、その下に胴体、腕が二本に脚が二本。会話がスムーズに行えるように、頭部の位置がほぼ揃う二足歩行推奨。
誰が決めたんだ、そんなの。あほだろう。
妹はぼくの隣でくすくす笑う。いいのよ。その昔、ヒトの形状にこだわってばらまいていた敵意を、今ではもうこんな箱庭でしか延命させられないだけだから。
その笑みの美しいこと。そして、その意地悪なこと。
でも、ぼくに対する評価になると、いつでも足して二分の一。だから、ぼくはそこまで美しくも意地悪でもないことになる。ぼくの身体には、ぼくと妹が存在する。ぼくと妹は別の人間ではなく同一人物。医学的な見地から確かなこと。ぼくを診てくれているドクターがそう証明した。ぼくは二人で一人の存在。
便宜上、ぼくが兄で、ぼくでないほうが妹。ぼくの身体には頭部が二つあり、胴体は一つ。腕が四本に脚が四本。ぼくと妹はいつも同じ頭部に出現するわけではなく、それぞれの部位もいつも同じセットで連動してはいない。ぼくは四本の腕と四本の脚を動かすことができ、妹も同じ。ぼくと妹の意思は体内の神経系でコントロールされ、身体の隅々まで混乱なく動かせる。互いの意思が相反しても動作不能には陥らない。ぼくと妹は喧嘩もする。会話したりしなかったり、別べつに寝たり同時に起きていたり。各々の経験したことを、ぼくと妹は互いに知覚し、どちらかだけが忘れたりする。ヒトってそんなものだ。実にいい加減に出来ていて、そして、そのいい加減さがものすごく巧みに出来ている。
今やこの地上には、旧来のヒトの形状をもたない、ぼくたちのようなハイブリッドのほうが多い。なのに、未だに昔ながらの箱庭には、骨董品となったヒトの形状でなければ入場不可なのだ。
いいんじゃないの、と妹は言う。限定された生き方を体験してみるのも、絶滅寸前の存在を理解する力にはなるんじゃない? ねえ?
妹に声をかけられ、ぼくの左上腕に絡んでいる糸につながれた風船のような生き物が、斜め上でけらけらと笑い声を立てる。ぼくの彼氏だ。いいんじゃないの? とかれが言う。やつらのこだわるヒトの形状を経験してみるのも悪くない。
それで、ぼくたちはそうする。今や過去の遺物となったヒトらしい存在がうようよいる箱庭にダイブし、ぼくたちはまたそこでヒトになる。