第234期 #6

変異

 年をとったね、と、あなたが言う。ほら、こんなに皺が、顔にも首にも腕にまで皺が。
 わたしが動けなくなっているのが見えませんか。ほら、わたしはもうずっと前から、この子に脚を噛まれているのです。この子は吸うのです。吸って吸って吸って。わたしの体液も気力も記憶までをも吸い尽くし、わたしをここに留めようと、ここから動けないものにしようと。見えませんか。ほら、ここに、こんなに大きなこの子が。
 あなたはわたしの言葉にまるで応じず、哀しそうな顔で、優しい手で、わたしの頬に触れる。本当にきみは年をとってしまった。ほら、きみはもうこんなに干からびて、こんなに小さくなってしまって。
 わたしの声などまったく聞こえませんか。ほら、ここにわたしと同じほどの大きさのこの子が、もう何十年もわたしの脚に噛みついたまま、わたしの内部を、苦悩を、虚無までをも吸い尽くし、まるでわたしを乗っ取ろうと。見えませんか。わたしはもう吸い尽くされてしまう。
 すでにわたしはあなたが誰なのかもうわからない。いつお会いしましたか。ここに来られたのは幾年ぶりでしょうか。もしともにいたのなら、わたしの苦境が見えないなどということがあったはずもない。
 わたしはもう朦朧としています。あなたの声がわからず、あなたの手の感触もせず、あなたの姿さえ、もう。
 そう、わたしは年をとってしまいました。この身のなかで大事に育ててきた時間が、この子に吸われ、吸い尽くされ。あなたとともに過ごすはずだった時間が。この子に。この、顔もない、手足もない、つるりとした細長い楕円体の、この子が。
 あなたはともに年をとってはくれなかった。吸い尽くされたわたしの時間は、もう残っていません。
 わたしはただしわくちゃの皮で、薄い薄い皮で、その内部に何も何ひとつ存在しえない、空っぽでさえない、ただよじれているだけの儚い皮なのです。
 あなたは指先でその皮を摘まみ上げ、まるで汚いもののように身から遠ざけ、底のない穴へ投げ入れ、上から土を降らせました。ただの皮として。ただのゴミとして。
 わたしは穴のなかでたくさんの小さな子たちに囓られ吸われ尽くされながら落ち続けていきましょう。
 地上では、顔もない、手足もない、つるりとした細長い楕円体たちが闊歩しています。あなたもその手足などないふりをして、なきものとして、その群に交じり、歩んでいくのですね。いずこへ。いずこともなく。



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