第233期 #1

あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる

 ○○県高羽区桃白台と言えば、近隣県でも知らないものはいない高級住宅街であり、住むだけで人間の価値が上がると言われる一等地だが、その一区画のひと坪に、およそ周囲の家々と似つかわしくない一棟のプレハブ小屋が突如として現れた。ゴールデンレトリバーを散歩中の高橋婦人は昨日まではなかったその小屋を思わず二度見し、その場で自治会長に携帯電話でクレームを入れた。われわれの住宅街に変な人間が小屋を建てたので即刻撤去をお願いしたい。自治会長はいつもの柔らかい落ち着いた口調でなるほど、その小屋というのはどこにありますかと言うので、高橋夫人はその場所をと伝えると申し合わせたようにプレハブ小屋のドアが開いて中から自治会長が現れた。
 あぜんとする高橋夫人に自治会長は自分が貧困に陥った顛末を語りだした。投資失敗、息子の非行、連帯保証、勤め先の倒産など、高橋夫人の日常ではまず耳にしない単語に逆に空々しさを感じたが、自治会長から立ち上る体臭がすべてを物語っていた。かように簡単に人は貧困に陥るのかと戦慄する一方、高橋夫人は自治会長はなぜ我らが桃白台から立ち去らないのか疑問に、そして不満にも感じた。
「なぜここを去らないのかと考えてらっしゃいますね」
 夫人が自治会長の目を見る。不穏な空気にレトリバーが吠える。
「対岸の火事でない貧困を目にして、あなたがたの網膜に焼き付く私はニュースで流れる貧しい子ども達以上の意味を持つでしょう、それが見たくて私はここにしがみついている。私は究極の慈善ってのはね、貧困だと思っている。あなたの幸せも私の貧困のおかげでもたらされ」
「くたばれ」
 高橋夫人はハンドバッグから札束を取り出すとしゃべり続ける自治会長の口にねじ込んだ。いつの間にか夫人の後ろにはつなぎを着た婦人連がいて、皆掃除機のようなものを手に持つ。「撃て」
 夫人達が向けた掃除機から帯状に万札が射出され自治会長に容赦なく降り注ぐ。自治会長が札束にまみれて見えなくなってもなお万札は尽きず、一部は風に乗りホームレスのもとに届き、彼はラッキーとばかり瞬く間に酒に変える。ブルーシート小屋でへっへ、と歯のない笑いをたて純米酒をすする顔に差す西日がふっと遮られる。眩しそうにホームレスが入り口を見ると西日を背に、掃除機を手にした四人のつなぎを着た女性たちが叫ぶ。
「撃て」



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