第232期 #8
冷え切った部屋で泥のように眠りこんでいた斉藤を、スマホの着信音が叩き起こした。
寝惚け眼で画面を見ると、相手は同僚の記者だった。表示されている時間は午前七時。寝入ったのが三時前だったから、ほんの数時間しか眠れていない。
「……何の用だよ、朝っぱらから」
不機嫌な口調で電話に出ると、返ってきたのは興奮した同僚の声だった。
「テレビつけてみろ。大阪、神戸が凄いことになってるぞ」
急かす同僚に不満を呟きながら、斉藤は薄型4Kテレビのスイッチをつけた。
そして、絶句した。
画面に映し出されたのは、倒壊し燃えている家々だった。道路は寸断され、高速道路は瓦礫と化している。ヘリから生中継されているの街の様子は、まるで戦場のようだった。
一九九五年一月十七日――阪神・淡路大震災の日の朝は、こうして始まった。
「ちょっと待ってください。監督、カメラ止めて」
甲高い男の声が響き渡り、思わず新聞記者の斉藤――を演じていた青年は、撮影中なのも忘れて、そちらに目をやった。彼だけではない、他の役者陣や撮影スタッフも同様である。
白髪頭の男が、顰めっ面で監督の方に近づいていこうとしていた。
このドラマの時代考証を担当している樺島という学者である。
「あれは、どういうことです?」
樺島に詰め寄られた監督は、「またか」という顔で嘆息し、
「何がです?」
「あのスマートフォンですよ。一九九五年当時、あんなものは存在してません。あのテレビもです。何度も説明したでしょう」
「でもねえ、視聴者はそこまで気にしませんよ。なにせ百年前の出来事ですからね。当時の文化風俗のことを詳しく……」
「だったら、時代劇に時代考証担当なんていらないでしょうが」
食ってかかる樺島に、監督は心底辟易した様子で、何かと弁明をしている。
完全に撮影が止まってしまい、セットから降りた斉藤役の青年は、スタッフに、
「何を揉めてるんです?」
尋ねられたスタッフは、彼の持つスマホを指差し、
「そのマテリアルデバイスが時代に合ってないんだと」
二二世紀の今日では、脳内チップによってあらゆる情報に直接アクセス出来る。
「昔の人はこんなので会話してたんですね」
揉めている制作陣を余所に、彼はしげしげとスマホを見つめた。
「信じられないよな。まあ、こういうのも時代劇の醍醐味だよ」
スタッフは苦笑しながら、脳内にて別の人間にアクセスし、撮影がさらに遅れそうな旨を伝えた。