第231期 #8

図書室の幽霊

 図書室の隅に幽霊の席があります。ある秋の黄昏時、そこにひとりの男子が座っていました。一定のリズムで本の頁を捲っています。グラウンドから野球部の掛け声が、体育館からブラスバンド部の練習する音が聞こえます。図書室にいるのは私と彼だけでした。私はカウンターの内側で、好きなミステリ作家の新刊を読んでいました。
 探偵が死体を発見した時でした。顔を上げると、幽霊の席の男子がカウンターで貸出カードを記入していました。彼は二枚のカードを差し出すと、私には目もくれず行ってしまいました。手にしている本は一冊しかありません。慌てて引き留めましたが、返事の代わりに図書室のドアが閉まる音がしただけでした。
 困りました。書名も確認できていません。一枚目のカードのタイトルは『鍵のかかった部屋』。二年C組、柳君というのが彼の名前。返却予定日にスタンプを押します。二枚目を見て、私は凍りつきました。
 そこには、ただ「幽霊」とだけ書かれていたのです。作者名もありません。
 寒気がしました。日が沈み、窓の外が夜に染まり始め、運動部の声もブラスバンドの合奏も止んでいました。蛍光灯の薄情な光が室内を照らしています。柳君の借りた幽霊が冷気を残していったのだと、震えながら思いました。
 私は首を振りました。考えすぎよ。本は二冊重ねていたから見えなかっただけ。一冊目と同じ作家の『幽霊たち』って本があった。タイトルを書き間違えたのよ。しかし『幽霊たち』は棚にあり、貸出カードも入っていました。
 私はカウンターに戻って、幽霊の貸出カードを手に取りました。そして、貸出箱の二年C組の列に二枚のカードを差しました。

 幽霊を貸し出してから一週間、私は落ち着かない気分で過ごしました。一週間後の下校時刻間際、『鍵のかかった部屋』がカウンターに置かれていました。
 柳君が返却に来ないことはわかっていました。二年C組に柳という名字の生徒はいないのです。ほかに幽霊を借りた生徒も、一人として在籍していませんでした。
 私は返却日のスタンプを押し、唾を飲みこんで、幽霊のカードに自分の名前を書きました。貸出日は今日。返却予定日は一週間後。
 呼ばれて振り返ると、幽霊の席に女の子が座っていました。周りを四人の男女が取り囲み、そのなかには柳君もいます。本を一冊借りて、と女の子は言いました。君はどこに連れて行ってくれるの。笑顔の向こうに棚が透けて見えました。



Copyright © 2021 Y.田中 崖 / 編集: 短編