第231期 #5

正しい!

正しいことを言ってはいけない。相手はそれが正しいゆえに認めるか、認めないかの二択に迫られるわけだけども、たとえばそうだな、「君の親はハゲてるわけだろ? 爺さんもハゲてる。だから君はハゲるよ」なんて若い子にいってみたまえよ。

僕はその例え話にドキッとしたことを昨日のことのように覚えている。なぜなら僕の父も祖父も見事にハゲあがっていたからだ。そして今、僕はすっかりハゲてしまった。

正しいことは逆説的であるけれどもその論理の正しさゆえに会話の場を荒らし、関係を悪化させることしかない。そうだな、ハゲることが確定している若い子にはこう言ったらいい。「親がハゲだから子がハゲる、そんなこともあるかもしれないし、ないかもしれない。良い薬もある」

僕はこのときの話をその場では分かったつもりでいて、その後何年も痛い思いをした。偽善者には君はギゼンシャじゃないか、と言ったり、コンビニの店員だった友達に「でも君はコンビニの店員だろ」と言った。そして彼らとは結果的にその正しい指摘が遠因ともなって付き合いがなくなってしまった。今も申し訳なくおもってる。

こんなことを思う。たとえば空が本当に青くて美しいなと思ったとする。それは限りなく正しかったとして、一緒にいる相手に「青空がきれいだね」と言った場合。結果的に人生を振り返って思うことは、美しいという一語でさえ、それが正しかった場合言う必要はない。

あれは僕の髪がまだパーマをかけるほどに長かった頃、「本当に美人だ、大好きだ」と美女に告白してそれっきりになったことがあった。そう、あれは正しい感情であり、相手は正しく綺麗だった。

僕にこの話をしゃべった人も、すぐに僕の前から消えていった、いや、僕が彼を避けるようになった。なぜなら彼もまた僕に正しいことを言ったからだ。それではどうしたらいいのか、というとき、実は僕はその答えをもっている。なぜこんなにハゲてデブで貧しい僕のような男のところにこんなに美しく若い女がいるのかという事実。それはこういうわけだ、僕は彼女にたったの1回でも正しいことを言ったことがない。嘘をついてるわけではなく、彼女に酷いことをしてるわけでもない。ただ、正しいことを言わないだけ。それでも関係は成り立つし、世の中に正しさということは言語化されるべきものなのかとさえ思ってしまう。

この手紙は破られるために書かれている。ここに書いたことは正しいことだから。



Copyright © 2021 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編