第23期 #25

月の階段

「月まで届く階段を作れ」
 と王が命じたのが、百年前のことだ。らせん階段は高く伸びていき、転落して死亡する者があらわれると周囲に覆いができて塔のようになり、そして更に階段は高さを増していったが、もちろん月まで届くわけはなく、王が死んだときにその計画も頓挫した。しかしこの国でいちばん高い建物だし、歴史的価値も出るだろうということで取り壊されはせず、成長を止めた階段は、ただじっと立っている。
 何百段もある階段をようやく上りきり、倒れるように僕は腰を下ろした。階段は誰でも自由に上れるようになっているけれど、ひたすら単調に続くだけのその階段を上ろうとする人は、あまりいない。周囲は覆われているから景色を眺めることもできない。天井がないので空を見ることはできるものの、地上で見たって、ここで見たって、月の大きさが変わるわけでもない。
 ようやく呼吸が落ち着いてくると、僕はカバンから小さな箱を取り出した。中には指輪が入っている。月の色をした婚約指輪だ。
「月の階段のいちばん上で、月の明かりに照らされながら、ね」
 どんなプロポーズに憧れるかという話になったとき、ユマはそう言った。僕たちが付き合う前のことだ。彼女は言われるべきセリフまで考えていた。
「この階段が月に届くまで一緒にいよう、って」
「けどさ、それじゃあ、階段が月まで届いちゃったら、だめじゃないか」
 そう僕が言うと、ユマは首を振った。
「いいのよ、届くわけないんだから」
 三年も前の彼女の言葉を、言った本人が覚えているかすら分からない言葉を、僕は実行しようとしているわけだ。我ながらばからしい、と思う。けど僕は、三年前からずっと、そう言おうと決めていたのだ。
 とはいえ、やはりここまで上ってくるのは大変だ。階段を上りきった時点で、彼女がヘトヘトになってしまわないだろうか。途中で、やめよう、なんて言い出さないだろうか。でも、彼女が言い出したことなのだ。引っ張ってでも、てっぺんまで連れて来よう。
 僕は指輪をカバンにしまった。しっかりと予行練習をしておかねばならない。今日はそのために来たのだ。
 月を見上げ、ゆっくりと息を吸い込んで、口を開いた。
「この階段が月に届くまで……」
 そう言った途端、急に階段が伸びて月まで届いてしまうような気がした。もしかすると何十年後かに、なんてかすかに思ったけれど、そんなことを本気で心配するには、月はあまりにも遠かった。



Copyright © 2004 川島ケイ / 編集: 短編