第229期 #7

月夜見

 陽の散じる強い明かりが薄くぼやけてきた空を、夜の幕が広く大きく覆っていく。
 明るい光を放つ三日月が、夜の始点となり走りゆく。夜を広げる三日月は、皿のような形になり、夜の幕を引き駆けていく。見上げていると、夜空の端がときどき縒れて波打っているのに気づいてしまう。急ぎすぎた三日月が、きちんと端まで広げきることをしないまま、焦って夜の幕を走らせてしまったのだ。はためく夜空の隙間から顔を出してしまった朝が、戸惑いながらも目覚めて昇ってこようとしている。けれども、もう少しお休み。今はまだこの空は夜のものだから。
 公園の片隅に、月が慌てて空の端っこに引っかけて零れ落ちた、小さな三日月の名残が落ちている。端に設えられたベンチに座り、水筒のお茶をコップに移して飲んでいると、その名残が興味を示し、のろのろとベンチの足を伝いながら登ってくる。
 冴え冴えとした美しさをもつその煌めきは、膨張したり収縮したりして形を定めないまま、ゆっくりと近寄ってくる。指先でそっとその端に触れると、凍ってしまうかと思うほどに冷たい。
 「おまえは夜だけではなく、冬も一緒に連れて来るつもりかい?」
 そう問いかけてみるけれども、光は何もこたえない。けれども、鞄のなかから団子を包んできた風呂敷を取り出した途端、ぼんやりと灯っていた光はぱちぱちと瞬きだした。指先で、来い来い、と呼んでやると、嬉しそうに近づいてくる。そのままその指先で夜空を指すと、心得たように天上の三日月と同じ形状で寝そべった。
 その上に団子を並べる。ずっと親がそうしていたとおりに。親の親がそうしていたとおりに。親の親の親がそうしていたとおりに。そしておそらく親の親の親の親もそうしていたとおりに。
 月の器に並べた団子は、得も言われぬ馥郁とし豊穣たる味わいをもつようになる。わたしはそれに口をつけることはしない。ただ愛でるだけ。
 黒々と空を覆っている夜は、あと数刻もせずに明けてしまう。先を走っている三日月が空の向こうへ落ちると同時に、天上に大きく広がっている夜の幕もあっという間に沈みゆく。それから先はここも陽の世界へと変じてしまう。かそけき月の光など、なんの抵抗もできぬまま、白々とした朝に追いやられてしまう。
 でも、今はまだ夜の刻。公園に広がる月の光は、季節の豊潤を描く一幅。
 わたしに子はない。月夜のお茶を入れる術を伝える相手は、もういない。



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