第225期 #10

 僕らの生徒会長は誰よりも常識を持たない。生徒会室にはもちろん彼のすき焼セットがある。すき焼を囲みながら深夜まで会報を作っていたのが一昨日のことで、昨日の祝日は寝不足の体を引きずり生徒会役員みんなで文化祭の準備をした。そして今日、生徒会長は学校をやめた。
 二時限目が終わってすぐに顧問のカネっちに呼び出された。
「何か、聞いてへんか」
「いえ、なにも」
 カネっちは狼狽えていた。巨漢が動揺すると空間がひずむ。悩み事でもあったんやろか、でも家の人も電話出ぇへんしなあ、文化祭どうすんねんあいつ、等々ひとりで喋り、なんだか僕にも狼狽えてほしそうだったから頭を掻いていると、
「まあええわ。また呼ぶ」と言い足早に撤退していった。
 教室に戻ると生徒会長は家族ごと夜逃げしたことになっていた。確かな情報をつかんだ奴がいるらしい。あまり興味は持てなかった。どのみち生徒会長がもういないことは事実のようだ。
 授業をさぼって生徒会室をのぞいてみたら、すき焼セットはまだあった。僕はそれを棚の奥のほうに仕舞った。窓が開いていて、なびくカーテンの向こうから笑い声がした。保育園児が散歩でもしているんだろうか。カーテンはとても明るい光に染まっている。
 ひんやりした階段を下った。遠くで授業の音がした。玄関を出てグラウンドに向かった。広いグラウンドだ。昨日の僕らがそこでキャンプファイヤーの薪を組んだり、クラスごとの区画線を引いたりしていた。骨董品レベルのラジカセで、蝉の声に負けないくらいの音量でロックバンドの曲を流しながら。
 ダレてくると生徒会長がどこかからホースを引張ってくるものだから、皆で水を空高く撒き虹を作って遊んだ。彼は本当に常識がないから、タバコから帰ってきたカネっちが「なんやお前ら!」と怒鳴ると、
「すんません、あんまり空が青かったんで」なんて全く反省のない声で謝りながら最高の虹を出現させるのだ。
 生徒会長の不在を受け入れることができるか、僕には自信がなかった。校舎の陰の草地から見渡すグラウンドには誰もいない。園児の笑い声もとっくに消え、蝉の声と、時々通る車の音だけ。昨日の痕跡を探してすぐに見つけた。同じ草地の中に、回収し忘れたラジカセ。僕は若干湿ったカセットテープを取り出し、ポケットに入れた。
 さすがにホースは見つからなかった。だから昨日の虹を空に浮かべた。快晴だった。そのまま宇宙へと抜けていく青だ。



Copyright © 2021 霧野楢人 / 編集: 短編