第223期 #2

序章趣味

 日が昇ればその日はそれで満足で、あとは一日何も考えずに過ごせるし、物事の始まりと終わりがあるならば、いつも始まりの部分だけすすって生きてきた。結論なんて出したことはないし、それで困ったことはない。自分がやろうとしていることをほかの人がやったら、悔しがるどころか、大いに喜び、序章から第一章に飛び立つ後ろ姿を見て、ほっと胸をなでおろす。かといって何もしないわけでもなく、無職や引きこもりのような人種に対しては大きな羨望と軽い侮蔑とを投げる。達観などからは最も遠く、僧侶のように自分の屁理屈に過去の教義を塗り付けて屹立させて悦に入るような無粋な真似もしない。
 そんな序章趣味の人間たちは、数としては決して少なくはないが、その実数は知れないし、実のところお互いが序章趣味なのかどうかは、わからない場合も多い。永遠の物語の読者かつ、主人公でいたいという序章趣味を持つ人間たちの中で、最高齢の男性が亡くなった。八十六歳で、死因は肺炎だった。親族も多く、小学校の校長をしていたため、葬儀の参列者は多く、その中には序章趣味の者もいた。死んだ老人の孫がまさにそうだった。
 孫は老人の生前、よくその話し相手になった。老人の話はいつも、その丁寧な視点を用いて、日常という川からすくった水に映る景色に名前をつけるような、そんな美しいものだったが、孫はその背後にある序章趣味を敏感に嗅ぎ取った。老人の切り出す日常の話は、一つとして同じ色のものはなく、本が開きっぱなしで散らかされているようでもあった。まだ孫が小さい頃、老人が一緒に公園で遊ぶ喜びの背後には、孫の生命力をたたえる中で、自身もまだ序章であるというエネルギーがあり、年を取り流行病に冒され、その生命の可能性が狭まり、想像力までむしばもうとしているときにも、老人はまだ序章にいた。この物語が喜劇なのか、悲劇なのか、まったく明かされないまま、老人は序章を引き延ばしていた。始まりを楽しんでいた。
 通夜の晩、皆が寝静まった時間、孫は老人の棺ののぞき窓を開け、老人の顔を見た。周りを確認し、老人のまぶたを押し上げると、ただそこには白目があった。じっと見ていると今にも黒目がまぶたの地平線から昇ってきそうだった。
 日が昇ればその日はそれで満足で、あとは一日何も考えずに過ごせるし、物事の始まりと終わりがあるならば、いつも始まりの部分だけすすって生きてきた。



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