第217期 #8

痣食

 露わになった奏子の背中にそれは棲んでいた。
 滑らかな白肌の上を、一匹の巨大な赤黒い百足が這っている。ただし、本物の百足ではない。そのように見える痣だ。
 その痣を、アロハシャツ姿の男が凝視していた。還暦くらいの、不気味な程に綺麗な肌をした小男である。
 奏子は恵まれた女だった。類い希な美貌、職業は外科医で、著名人の友人も多い。
 恋人の類いには不自由しなさそうだが、その実、彼女に恋人がいたことなど、三十年の人生の中でただの一度もなかった。
 愛する男の眼前に、どうしてこの醜悪な痣を晒すことが出来ようか。
 何度も手術を考えたが、痕が残ることを考えると踏み切れなかった。
 ある時、奏子は他人の痣を消すことの出来る人間がいることを知った。
《痣食》――あざはみと呼ばれる男のことを。
「……相当なイワレだね、こりゃ。ご先祖を恨みな」
 女のような細い指で彼女の肌を撫でながら、男は皮肉げに笑った。
 男によれば、特定の形を持つ痣は因縁による業や呪いなのだという。
 深呼吸をした後、男はぬらぬらと濡れる長い舌を伸ばし、痣の上へと這わせた。
 嫌悪と羞恥に身を固くしながら、奏子はこんな心霊手術じみた行為に縋るしかない己の境遇を呪った。
「終わったよ」
 彼の嗄れた声で我に返った奏子は、慌ててスマホで背中を確認した。刹那、彼女の喉から歓喜の悲鳴があがる。
 痣は跡形もなく消えていた。
 礼を言う奏子に対し、去り際に男は呟いた。
「……気ィつけな。執念深いぜ」
 それから一週間の後、奏子は思わぬ形で彼と再会することになった。
 手術台に男は寝かされていた。腹痛を訴え、緊急搬送されて来たのだ。
 偶然にも執刀医となった奏子は、半ば呆然としながらも、彼の腹部をメスで切り開いた。
 次の瞬間、周りにいた医師達は息を飲んだ。
 彼の内臓が赤黒く変色していたからである。いや、内臓だけではない。身体の内側が痣を思わせる異様な色と形に変容していたのだ。
 そして、奏子は見てしまった。彼の内臓に、一匹の百足がとぐろを巻いているのを。
 百足は何かを求めるように動き出すと、瞬く間に奏子の腕に巻き付いた。
 手術室に悲鳴が響いた。奏子のではなく、助手の悲鳴が。
 反射的に、奏子は自分の腕にメスを突き立てたのだ。血飛沫が上がり、手術室は大混乱に陥った。
 そんな最中、医師達は見た。
 開かれた《痣食》の身体から、ゾロゾロとナニカが這い出してくるところを。



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