第217期 #4

怖い……

 定刻通り午前九時に役員会は開かれた。決議事項をざっと見ながら今回も特に波乱を呼びそうな議案はないなと、副社長の長岡は安堵のため息を漏らし、ただ、社の発展を考えると、あまり波風立たないのも問題だが、と、長岡はもう一度ため息を、今度は少し強めに漏らした。
 国内営業担当役員の吉田が持ち込んだ決議事項で、一波乱あった。案件自体は極めて単純なもの、すなわち、国内すべての支店、営業所に環境改善のために観葉植物を配備するというものだった。そんなことしてないで一台でも売れと出席者の誰もが思ったに違いないが、何の意見も上がらず、議長の「では、当議案に賛成の方は、挙手を」と決議に進んだ。これが最後の議題だったということもあり、長岡は片方の手で賛成の意を示しながら、手元の書類を片付け、議長の「それでは役員会を閉会いたします」の言葉を待っていた。
 ところがその言葉はいつまでも聞こえなかった。挙手の右手はそのままに議長を見ると、議長は怯えたような目で社長を見つめていた。社長は下を向き、怖い……とつぶやいていた。怖い? 長岡は議題書にもう一度目を通したが、財務的なインパクトも無視できるレベルで、怖さとは無縁だった。長岡が声をかけようと口を開いたとき、社長の口からはっきりと言葉が放たれた。
「エコはいい……」
「は?」
「もっと進めよう」
 社長の一言で環境対策は全社一丸のプロジェクト、いや、社是やミッション、バリューのすべてとなった。株主、従業員、すべて無視して環境問題に取り組む鬼のような会社になった。当然出資者や従業員にはそっぽを向かれ、業績はみるみるうちに下降した。社長は私財をとうに投げ出し、自身もサハラの緑化に携わる中で現地の伝染病で死んだ。
 しかしその甲斐あってか、徐々に社の活動は世間の知れるところとなり、新たに支援者が現れ、緑のない地域に緑が、灰色の空が青く、変わっていった。
 長岡は社長の死後も社に身を捧げ、今は死の淵で、家族に看取られながら天寿を全うしようとしていた。窓の外には、夢のような自然の風景が広がっていた。社長がこれを見たら、なんと言うだろう。ここまで世界が変わることなど、想像できただろうか。部屋の大半を占める観葉植物、そののびのびとした枝葉の一つが、はっきりと長岡の方を向いていた。長岡はいつかの役員会で、社長がつぶやいた言葉を発し、そのままこときれた。



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