第213期 #15

星と花

「ねえ、あれ見て」
 彼女が伸ばした指先の向こう。夜闇が降りてきた窓の外に視線を向ける。
「アンタレスだ」
「ヨルガオよ」
 言い直されて、二人で小さく笑った。
 僕は地平線近くの赤い星に目が行ったが、彼女は窓の手すりに絡まる白い花しか見ていなかったのだ。
 お互いの趣味が見事に表れていた。僕はそのとき工業大学で航空宇宙工学を学んでいて、彼女は専門学校のフラワーデザイン科だった。
 学生生活の様子はまったく違っていたが、それでも彼女は僕の学校での話を聞きたがった。
「明日の講義ってなにやるの?」
「昼からの一般相対論だけ。朝は課題でもやってるかな」
「へー。相対論って聞いたことあるけどよくわかんない。簡単に言うとなんだっけ」
 どう説明しようか迷ったが、アインシュタインの名言に頼ることにした。
「熱いストーブに手を置くと一分間を一時間に感じ、可愛い女の子と一緒なら一時間を一分間に感じるという話」
「じゃあ今は、三時間いても三分のように感じられる?」
「そうだな。今が一瞬で終わってしまう気がする」
「ありがと」
 そう彼女は微笑んだ。だがすぐに笑みを消して言葉を続ける。
「でもわたしは逆ね。楽しく美しい時こそ永遠に続く気がする」
 透き通った眼でそう語られる。
 僕はさっきとは違う視線で窓の外に目をやった。
「あの花も、ずっと咲き続けると?」
「ううん。ヨルガオは朝になったら萎れる。でもまた次の花が咲く。秋になって枯れても、翌年にまた種から芽を出す。そうやっていつまでも続いていく。あの星と一緒に咲き続けるの」
 ヨルガオの向こうのアンタレスを眺めた僕は、またも風情のない言葉を返した。
「あれは赤色巨星だから、数万年ぐらいで爆発してなくなるかもしれない」
「じゃあ、星より花の方がずっと続くかもね」
 その最後の言葉と笑顔は今もはっきりと僕の記憶に残っている。
 その夜の帰り道に、彼女は暴走車に突っ込まれて海へ落ちていった。彼女の親に嫌われていた僕は葬式にも入れてもらえず、脳裏に残った姿だけを形見にした。
 メッセージの着信音がしたので我に返り、ディスプレイに目を向ける。
 同僚からの興奮した文面は、月面での植物発芽実験の成功を告げていた。
 その興奮に乗れずにディスプレイを消した。黒くなった画面に疲れた初老の顔が映る。
 あのときの僕はもうどこにもいない。
「星より花の方がずっと続くかもね」
 微笑んでくる彼女は、永遠になっていた。



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