第209期 #9
「久しぶりじゃないか。俺はもう定年だが、お前も引退したのか?」
「ああ」
「さすがに歳だから、体がどんどん思いどおり動かなくなってきてな」
「そうだな」
「他人と会って話すのもおっくうになるし」
「わかるよ」
「何もしてないからか、一日はたまらなく長い」
「まったくだ」
俺は幼い頃は、グズやノロマと言われる子供だった。学校の授業には全然ついていけず、友達とのつきあいもテンポがまったくあわない。
大学生の頃になんとか勉強も人間関係も半人前くらいになり、先輩のコネで小さな設計事務所に就職することができた。しかしそこでも、仕事が遅いと怒鳴られてばかりだった。
だが俺はめげることなく仕事に励んだ。最初は何週間もかかっていたような仕事も、続けていればそのうち数日でできるようになる。十年後には誰にも文句を言われないほど仕事がこなせるようになり、二十年後には独立してやってけるようになった。三十年後には地域でもっとも優秀な事務所だと言われるまでになった。
努力が才能を引き出したのだ、俺は大器晩成型なのだと、得意な気分だった。
だが五十も半ばを過ぎるころ、何かがおかしいと気づき始めた。
あらゆる他人の話がまどろっこしくなってきた。すぐ言い終えられるようなことをだらだらと話している気がするのだ。そもそも喋り方自体が遅くてたまらない。直接の会話だけではなく、テレビなども間延びしていて腹立たしい。
それで気づいた。他人が遅く感じるというより、自分が早くなり続けているのだと。
そこから長い数年が経った後、さらに嫌なことに気づいた。自分の手足の動きも遅く感じる。歳を取ったからというレベルではない、肉体はそのままに、精神の動きだけが早くなっているのだ。
俺は仕事を引退した。そしてあまり出歩かなくなった。自分の歩みが遅すぎて腹立たしい。他人との会話も間延びしすぎて耐えられない。
俺は長い一日を、書斎で分厚い本を読んで過ごす。はたから見れば、ページを即座にぱらぱらとめくるから、まじめに読んでいるとは思えないだろう。いつかそのうち、指や視線の遅さにさえ耐えられなくなるだろう。
だから、ぼんやり景色を眺めながら思い出に浸るしかできなくなるだろう。すべての老人と同じように。
最期の瞬間も近づけば近づくほど遠くなり、まともに動かない肉体の中で、これまでの人生を何度も何度も振り返ることだろう。たぶん、すべての死者のように。