第203期 #6

あああおおえあいいあい

出会ったときの彼女は声を失ったことで世界が終わってしまったかのような顔をしていた。
突然出なくなったのだから、突然出るようになるかもしれない。だから、彼女と毎日会ってお喋りをする。それが上司からの命令だった。
10ほど離れた歳の子と会話の糸口を見つけるのは容易ではない。どうやって会話の糸口を探せばいいのか途方に暮れた。会っては無言のまま時間を過ごす日が何日も続いた。
ある日会社で話題になったドーナッツを買って行った。期間限定らしく、可愛いとSNSで評判らしい。最近の子だしSNSはチェックしているのではないかと、珍しく閃いた。
箱を開けたとき、一瞬で表情が変わった。ものすごく嬉しそうな顔をして、ありがとう、って言ってくれた。
そう、声は聞こえないのに、ありがとうって聞こえた気がした。
それがきっかけだったんだと思う。そこからいろんなことを話した。
彼女の声は聞こえないから、こっちは音で伝えて、彼女はジェスチャーもあるけど、殆どが文字だった。
文字で出されると、なんとなく文字で返さないといけないような気がしてきて、気が付いたらふたりでもくもくとスマホを打っている日となっていた。
会社で、お前女子高生ばりに打つの早くね? と言われるほど入力が早くなっていた。

あれ? と違和感を覚えたころだった。彼女が何か言った。
スマホで文字を打って欲しいとお願いしたけど、嫌だと首を振られた。
何度か同じ言葉を言われた。でも、全然何を言っているのかわからなかった。ゆっくりハッキリ口を動かしてもらいメモってみた。あああおおえあいいあい。母音しかわからなかった。
結局、それから会うけど話もしない日が続いた。母音だけがメモられたスマホを見ては、自分で口を動かしてみる。
悲しそうな彼女が目の前でカルピスを飲んでいた。
イライラしていた。だって文字で返してくれればこんな時間なんてかからないのに。
ちょっと待て。
文字で返してくれれば? なにか引っかかった。違和感はそれだ。
そもそも何しにここに来ている?お喋りをするためにここに来ているのではないのか?
ここ最近を思い出してみる。喋っていただろうか? 彼女がスマホに文字を打って見せてくれなくなった直前はなにをしていた?

急に母音だけの文字の意味がわかった。

「俺も君の声が早く聞きたい」
そう言ったら、一瞬ビックリしたような顔をして、彼女は泣きながら笑った。



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