第20期 #21

物体ヤボ

 どうにもこうにもヤボったい物体が出現していた。
 それが六本木ヒルズに現われたのだからたまらない。道ゆく人びとは眉をひそめ、なるべく見ないフリをしたが、その物体に注意を払っていることには変わりないのだから憎悪は増すばかりだった。

 物体は、大きいと言えば大きいが、わざわざ言うほど大きくはない。形は球体と見てよさそうだけれども、どこかいびつで釈然としない。灰色がかった白が基調ながら、部分的に濃淡のムラがある。全体につるつるしているが、シワが寄っているところもあり、細かい毛がはえているらしいところもある。
 ビルのあいだに浮かんで、まごまごしている。つねに動いているようだが緩慢で、風向きに沿ったり沿わなかったりだ。壁にあたっても跳ねかえらず、忘れたころに壁から離れる。のろのろと上昇を始めたかと思えば、いつのまにか下降している。パッと見事に消えたかと思いきや、ただ半透明になっただけで、それがじわじわまばらに色を取り戻す姿は、見る者をイライラさせた。
 UFOだと思って集まった人びとは、みな舌打ちをして帰った。未確認の飛行物体ではあるが、だれもこれをUFOとは認めたがらなかった。新聞はもちろん、ワイドショーも無視した。

 ヤボな物体は六本木をなんとなくさまよったあと、東京中をなんとなくさまよった。そして、ゆく先ざきで憎まれた。原宿、渋谷、代官山、とかなんとか、およそ物体の似つかわしくない場所での憎悪はことさら高く、秋葉原や巣鴨でさえも、やはり物体はヤボったかった。新宿や五反田では、男たちの酔いと性欲をいささか冷ました。永田町を通過したが、国会で問題にならなかった。大学のキャンパスに浮かんだところで、教授も学生も研究しようとしない。自衛隊の施設に侵入しても、サイレンは鳴らなかった。
 目の前にあっても、窓の外にあっても、恋人の背後に浮かんでいても、だれもそのことを口にしなかった。態度のうえでは物体の存在を認めないが、だれもがその存在を認めてしまっていた。ただホームレスだけは、まったく物体に注意を払わなかった。カラスもつつかず、野良犬も吠えない。
 やがてヤボな物体は、御台場あたりをなんとなくさまよったあと、ゆっくりと東京湾に沈み、海辺のカップルを安心させた。ようやく恋人たちは、ムードあふれるキスをした。

 それから数年。あれは今でもヘドロの底に沈んでいるのだろう、と内心だれもが思っている。



Copyright © 2004 紺詠志 / 編集: 短編