第198期 #3

見越し入道

「不倫するんだ?」
 ブラウスに這わせた指が動かなくなった。指を引っ込めた上司は眉をひそめて
「え?」
「不倫するんだ?」

 飲み会でのボディタッチは私からは二回、上司からは三回。私は手の甲、二の腕、上司からは肩、胸(肘で)、太もも。太ももに手を載せた技術には正直舌を巻いた。なんとなく視線を飛ばしたときには彼の手は私の太ももにしっかり根を生やしていた。いつ触れられたのか全く気づかなかった。上司の声のトーンは変わらず、私が太ももを見つめている間も周りの話に快活に相槌を打っていた。二年目の男性社員が面白いことを言って一同が笑ったとき、ぐっと強く太ももを捕まれ、その後確認するように二三回さすったあと私の耳元で笑って言った。
「いいことしようか」
 あまりにださい言葉に笑ってしまい、彼もださい言葉をあえて使うことで緊張を、主に自身の緊張をほぐそうとしていることが分かった。私はお酒は強い。目はとろんとしないし、それが世の男性の歓心を買わないことは知っていた。私はパートナー以外の男性とそういう関係になるのは初めてだった。私が上司の手の甲や二の腕を触ったのは偶然と言えば偶然だが、受け取る方から見れば誘惑と捉えられても仕方の無いものなのかも知れない。これもハラスメントの解釈の一つなのか、と私は以前会社で受けた講習を思い出していた。
 吹き出し笑いのあとの私はその次の瞬間にはにっこり笑っていた。甥っ子に向けたことのある笑顔を使ってみた。上司はその笑顔に満足し、手を私の太ももから外し、飲み会の間中は私を触ることも、声を掛けることも無かった。

 ホテルにつくとまず強く抱きしめられ、その後に下から撫で上げるようにブラウスに手を這わせた。そこで私の口から出たのが冒頭の台詞だ。

「お酒でも飲む?」
 くるりと私に背を向けて、ルームサービスの冷蔵庫を開ける彼の背中は面倒さを隠そうとしていなかった。その背中に私はまた同じ問いを投げかける。
「不倫するんだ?」

 責めるつもりもないし、脅すつもりもない。恐怖はなく、性欲はまあ、ある。ただ、なんとなくはっきりとはさせたかった。

 プロレスラーのポーズのように缶ビールを二本両手から垂らして振り返った彼は、冷蔵庫の光に照らされ、Googleのトップページの白いとこのような顔をしていた。私は彼の姿を頭の先からつま先までじっくりと見て、注文を確認するようにゆっくりとまた口を開き始めた。



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