第196期 #9
日が暮れかけていた。友人はふさぎこんでいた。話を聞いて欲しそうだった。水を向けると人混みは嫌だと言った。俺たちは川のほとりへ向かった。川には橋が架かり、車が激しく行き交っていた。途中で停車する車はなかった。車のエンジン音と逆光に遮られながら友人は何かを言った。友人の表情は黒い影の奥で蠢く得体の知れない何かだった。俺は友人の傍に身を寄せた。
アイツに彼女ができたんだ。友人はそう言った。良かったなと答えた。良くないよと友人は言った。太陽は既に沈んでいた。下半分だけの欠けた月が低く昇っていた。きっかけは匂いだったと友人は告げた。
着替えのときにアイツの乳首が見えちゃったことがあって、確信したんだ。なにを。フェラチオしたいって。……う、うーん。そういう反応になるだろうね。なりましたね。自分のことながら同感を禁じ得ないんですよ。はあ。
会話は続く。
さすがに両方は抱えきれなくて。両方? 性指向と失恋。どちらにせよ言葉がないわ。別にアドバイスとか求めてないし、それにできないでしょ。なにそのキモい反応、キスでもしてやろうか。普通にキモいしそういうのいらないし。そういう感じか。おあいこ、それに友達とはセックスしません。同意見です。だからハグで。あ、はい。
俺達は川のほとりで抱き合った。だからといって何も解決はしないが、まあ大体のことがそんなものだろう。
夢を見た。俺は薄暗がりの中、車に揺られていた。バスだった。反響する音でトンネルにいるのだとわかった。
バスにはいくつかの死体が転がっていた。座席には、両親に初めての嘘をつかなかった男、誰かの好意を無視しなかった男、欲のままに盗まなかった男などが座っていた。ここにいるべきではない、俺はそう考えて下車した。なんの躊躇いもなくバスは去った。
恐怖による凄まじい動悸とともに目覚めた。俺は立ち上がっていた。いつ眠ったのかもわからなかった。カーテンの向こう側に焼け付くような太陽があった。
受け入れられ、満たされることのないまま人生は続いていき、やがて家族を持ち、老いさらばえてなお絶えぬ渇望の炎に焼かれ続ける異物たち。或いは海底に置き去りにされた既に諦められたまだ生きている死体。自分という得体の知れない病巣。
俺は友人の抱える孤独への恐怖の縁に触れることができたような気がした。気がしたが、どうせ思い違いであっても、乾燥した味気ない日々は続く。