第194期 #10

怪獣のいる街

 古本屋の軒先から秋晴れの空を見上げると、巨大な影が天に向かって聳え立っていた。
 この街のランドマークタワーに寄りかかるようにして眠っているそれは、爬虫類に似た巨大生物だった。鋭い背鰭が、瓦礫と化した街にギザギザの陰を落としている。最後に活動が観測されたのは六日前。次の覚醒が何時になるかは、誰にも解らない。
 投げ売りの棚から選んだ三冊の文庫本を手に店を後にする。代金の三百円は無人のカウンターに置いて来た。たとえ店主が逃げていようと、支払いは必要である。
 昼寝をする為、半壊した公園のベンチに寝っ転がると、偶然、先日まで俺が働いていた崩れかけのビルが眼に入って来た。生産性のない事務仕事な上に、職場の人間関係は最悪。心を殺し、面白みのない生活を機械的にこなす、拷問の様な毎日。嫌味な上司、むかつく同僚、生意気な後輩、皆死ねばいいと思っていた。
 そんな時に、あの怪獣が現れた。職場であるビルは破壊され、崩落に巻き込まれた社員の殆どが圧死した。ビルの残骸は社畜どもの墓標という訳である。全くもって良い気味だった。
 何処から、何の為に来たのか、一切不明の怪獣は暴れに暴れ、自衛隊とドンパチを繰り広げた揚句、それ以来死んだように眠っている。きっと死んではいないのだろう。だから、自衛隊も警戒態勢を解いてはいない。
 住民に対しては避難勧告が出された。危険だし、怪獣と戦闘する際に邪魔だからである。
 でも、俺はまだ此処に残っていた。死ぬのが怖くない訳ではない。でも、逃げて、その先に何があるのだろう。前みたいにダラダラと生きて、ダラダラと死ぬ生活か? なんとなく、それは酷く面倒臭いことに思えた。
 ならばいっそ、怪獣に殺されるのも悪くない。いや、殺されるのは嫌だが、死ぬなら一発で、まるで天災による不慮の事故の様に死にたかった。
 生を第一に考えるのが生物の本能だとすれば、俺は出来損ないに違いない。
 しかし、不思議なもので、俺のような人間は少なくなかった。意図的に街に残った、或いはわざわざ余所からこの街に来た連中は他にもいる。廃墟の中でそういう奴らに偶に出くわすが、目が合っても特に挨拶もしない。ただ、決まり悪さと不思議な親近感を覚え、互いに曖昧な笑みを浮かべるだけである。
 消極的な自殺者達は、散歩して、飯を食って、昼寝をして、偶に怪獣を見上げる。不安と期待を込めた瞳で。
 怪獣は、まだ眼を覚まさない。



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