第191期 #7
男がいた。あるとき男は妻を娶った。男は幸福の絶頂にあった。男は鬼の巣窟へと旅立つ決意を固めた。鬼の子の心臓を魔法使いの王に捧げて子を授かるためだった。男は住処である洞窟から抜け出し、鬼の棲む峡谷へと旅立った。
鬼と呼ばれた男がいた。鬼は妻と息子を失って孤独だった。次の妻を娶っても、臓物を撒き散らして凌辱された死体を、その慟哭を忘れることはできなかった。新しい妻にどんなに愛を囁かれても、婚姻は仇に報復する手段であるという声が頭を離れることはなかった。やがて鬼には住処である峡谷を抜け出し、悪魔の棲む洞窟へと旅立つときがやって来た。
鬼は憎しみを隠し冷静に行動した。じき悪魔の子を見つけた。その子供の顔を見ればその親が仇であるということは一目瞭然だった。子供には奪われた息子に似た特徴があった。鬼はこの子供の後をつけて住処を突き止めた。このとき憎しみはとても隠しきれるものではなかった。鬼は妻と子供を殺した。怒りに任せて死体をめちゃくちゃに損壊し、その顔を判別不能になるほど破壊した。二度と思い出せないように、記憶が塗り替わるように、誰の仕業であるか伝わるように。鬼は子供から心臓を抉り取って革袋に収めた。それから母子が交接しているような姿に固定して死者を冒涜した。
作業している間じゅうずっと、鬼は報復の喜びに恍惚としていた。けれど水を飲み下しても喉の奥にへばりついたうんざりするような憎しみは消えなかった。怒りは報復と罪とに塗り替えられただけだった。渇きは癒えなかった。何も変わらなかった。これからの帰路を考えると気が遠くなる思いだった。奪い取った心臓だけが太陽の光を浴びて輝きを放ち、鬼の手の内で強く逞しく脈動していた。
不幸になれ、不幸になれという声が聞こえたような気がして悪魔と呼ばれた男は目覚めた。悪魔は絶命している我が子と妻を発見した。二人は冒涜的な姿で拘束され、子供からは心臓が抉り取られていた。悪魔は魔法使いの王にそれを報告した。続けて、次の妻はもう目星を付けてあるが良いかと添えた。もちろん良いぞと王は答えた。悪魔は新たに妻を娶った。やがて悪魔には子供を授かるために旅立つときがやって来る。
昔あるところに魔法使いの治める国があった。その国では峡谷に棲む男は鬼と、洞窟に棲む男は悪魔と呼ぶ習わしがあった。だが姿形のよく似たこの二者を見分けることは誰にもできなかった。誰にも。