第191期 #3
「600000000あれ」すると、
600000000があった。34と3458が222に987を33221していると、94887が3888に88573してくれと659889は、90000000した。和になった中で222は自分と同じ222がほかにも存在する、しかもいくつも、ということは気づきもしないし、222にはそんな力は無かった。それぞれの数字は自由に振る舞った。48が自らの指向で49になることは無いし、それぞれの数字はとても平等に見えた。
その中の数字が一つ積をした。軽い積で、誰にも聞こえていないはずだったがその感染力は非常に高く、数字の海に浮かぶおのおのはそれぞれに与えられた意味をとたんに理解して数式の中で増殖を繰り返した。9400059が499399949が58539908で、結果9993994がはじけて。
それまでは数字はてんでばらばらに存在し続けた。数字はそれ自身で何か意味を持つものでは無いということが分かっていた。町中で数字のプリントされたTシャツを着た人を見て、その人が野球好きとあとで知らされてから、彼が着ていたシャツの42という数字に立ち上る意味や、朝の占いでラッキーナンバー9を知らされる瞬間のような天啓のような意味が。
猛威をふるう積の中で数字は大きさを指向した。数の暴力という言葉が数字会で流行りだした。9はなぜ10が二桁なのかということを考え眠れなくなり、94939859は自分の頭にある数字を一つでも先に進めようと考え、そうして宇宙が作られた。4895358が78457384537を385498する間に3498549が下で。終わりが無いことに気がついた数字たちはそこここに根を下ろした。それまでにいろいろなものが流行った。序数ムーブメント、「1」回帰主義、ゼロベース、虚数。しかしそんなものは一過性だった。彼らは自分たちがそれなりに特別な存在であるということをすぐに理解して、意味を求めることを止め、星のように、樹林のように存在した。最初と何も変わらなかった。
そしてそのくたびれた数字たち、はめてもすぐ外れてしまうレゴブロックを使って、今日も人間は世界を作ったり壊したりして、995345に5939493で3949が2でそこから8384を捻出して。
そんなことを考えているから多分、私にはマイナンバーが与えられなかったのだ。