第19期 #1
「運転手さん!なるたけ急いでください!」
僕はタクシーの後部座席でほとんど腰を浮かせていた。
「任しておいてくれ!お客さん!そういうことならちょっと飛ばすよ!」
いよいよ妻が産気づいた。予定日よりも少し早いので心の準備が整わない僕は、落ち着け落ち着けと自分をなだめた。
同僚との会話が頭をぐるぐると回る。
「やっぱり立ち会った方がいいよ。いい経験だしな。」
「俺も立ち会ったけど、こう、身の引き締まる思いだったよ。」
僕も、絶対に立ち会おう。そう、心に決めたのだ。
タクシーは半ばつんのめりそうになりながら病院に到着した。
「お客さん!がんばるんだよ!!」
運転手は大きく手を振った。
「がんばります!!」
僕もその声援にこたえた。
分娩室では今まさに新しい命が生まれようとしていた。僕は妻の手を握り、思いつく限りの言葉をかけつづけた。
妻が最後にいきむと、医者は赤ん坊をとりあげた。その場にいる誰もが赤ん坊の動向をうかがった。赤ん坊がうっすらと目を開け、はたと僕と視線を合わせた。
「おい、めがね。てめえが父親か?」
「はははははは、はいいい!!」緊張のあまり声が裏返る。
「何だよ、情けない面しやがって。ま、いいや。時間がねえ。いいか、一度しかいわねえから耳の穴かっぽじってよおくききゃあがれ。このかあちゃんは乳は良く出るようだからその辺は心配いらねえ。俺が泣くときゃ、腹が減ったかオムツか眠い時だ。俺はオムツかぶれしやすいタチだから市販のお尻拭きなんぞは使ってくれるな。夜泣きは少しやるかも知れねえがそんなに迷惑はかけねえ。そんときゃ、おぶってゆすってくれりゃすぐに寝付くさ。俺の言いたいことはこれだけだ。何か聞きてえことはあるかい。めがね。」
「いえ、何もないです!」僕は震える手でメモを取りながら必死で答えた。
「そうか、そんじゃまあ、しっかりたのむぜ。なにしろおれっちは後2年は口をきかねえ。あんただけが頼りなんだからよ。」
そう言い終わると赤ん坊は改めて産声を上げた。看護師さんが笑顔で言った。「元気な男の子ですよ。」
僕は手帳を閉じて妻の手を再びしっかり握る。
「ありがとう。これから一緒に頑張っていこうな。」
「ちゃんと書き取ってくた?」
「うん。大丈夫だ。任せておいてよ。」
少子化で赤ん坊と接する機会が少ない僕たちにとってこの取り扱い説明はありがたいものだけど、もう少し優しい言葉遣いにしてもらえないだろうか。