第186期 #9

春はロマンチック

花見の時期になると酒場「ロマンチック」では、或る条件を満たせば「なんでもタダ」というイベントが開催される。その条件というのは、店のステージで「ちょっといい話」を披露することと決められている。ハゲた店主が「ロマンチック!」と叫べば合格である。

壇上に立つのは、だいたいが酔っぱらいである。彼らの多くは普段からスピーチをすることもない。春の夜に恋人と過ごすことより店に来ることを選び、この店のハゲた店主や美男従業員や客のことが好きで、いつのまにかいい気分になってステージにあがる人たちである。

――女の子

この場にいるみんなに贈り物をしたい気分です。あたしは普段、受付で働いています。趣味は最近陶芸です。土日に市民工房というところで、教えてもらいながら焼いています。正直、上手に焼けません。でもこの前、できあがった茶碗を友達にあげたら喜んでくれたんです。その子「あんたが頑張った時間がかたちになったんだね」って言ってくれました。その子ロマンチックーって思いました。

――店主

ロマンチック!

――従業員

告白します。身体を売っていました。今は……やってませんね……可愛い彼女もできましたし。ですが、一人忘れられない女性がいます。お相手は……80歳は超えていたでしょうか……。僕は指定されたホテルの最上階に行きました。もう、すごいホテルなんです。部屋に入るとメモを渡されて「洋服をぬいでねてください。くちをあけないで」と書いてありました。僕は服を脱ぎ、だまってシーツに寝ました。その人は枕元にやってきて、隣に座って僕の絵をかきはじめたんです。寝ている裸の僕を。朝に会って、昼も夜も……。途中、トイレのときは黙っていって戻りました。目を閉じるべきだったかもしれませんが、一応、何も言われなかったので開けていました。夜中に「できたわ」といって、その絵をみせてくれたんですが……ヘタクソだったんです!

黙って服を着て、部屋をでました。お辞儀をして扉をあけて出ると、執事の男性が封筒にいれた札束をくれました。物凄い重みです。僕はその札束で青山に引っ越して今ここで働いています……。昔というほど昔の話ではありませんが、僕にとっては随分前の話です。

――店主

ロマンチック!


――若い青年

えっと、思うだけじゃなくて、いろんなことをやっていきます

――店主

ロマンチック!




私もステージに立った。

「店主の頭もロマンチック!」

――店主

失格!



Copyright © 2018 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編