第183期 #8

八咫烏

 「一人の侍として、次の試合でも必ず勝利に結びつく得点を挙げたいと思っています」
 サッカー日本代表の藤川悟丸はインタビューをそう締めくくりロッカーに下がると、今自分が言った内容について考えた。広告代理店やスポンサーが好む言葉なので使ってはみたが、いったい自分は侍について何も知らないな。高校時代も練習に明け暮れて時代劇なんて見る機会はなかったな。日本代表になりたいと思って人一倍練習したけれど、その結果侍になれたんだ、という感慨は特になく。
 「侍……俺は、侍……」
 「どうしたんだマル。深刻そうな顔して」
 「いや、実は」
 悟丸は自分の疑問と違和感を同僚に伝えた。現代に生きる我々が人殺しを生業とする職業をチームの愛称に冠するのはいかがなものか。同僚は、そういった呼称は往々にして内実を伴わないが、それでもチームの団結をはかるには勢いのある言葉であればいい。という当たり障りのない回答をし、悟丸もそれ以上深く考えるのは止めた。
 「今度の合コン、モデルだってよ」
 上半身裸になり、見事な肉体の二人は制汗スプレーを交互に使いながら女の話をしていた。ティッシュのように床に脱ぎ捨てられた青いユニフォーム。
 
 「ねえ、あんた、侍なんでしょ、だったらござるって言いなさいよ」
 合コンで知り合ったモデルはSであり、Mな悟丸はベッドの上で彼女の言葉責めに悦んでいたが、その台詞はあまりに突拍子のないものだった。
 「はあ? 何言ってんの、全然面白くないんだけど」
 「いくでござる、いくでござる、って言いなさいよ」
 冗談のように急速に硬さを失う悟丸の刀に反して、中央アジア某国と日本人のハーフの女の目は真剣そのもので、茶色が強い黒目の瞳孔がどんどん開いていく。
 
 数日後、日本代表は試合に負け、W杯予選敗退となった。悔しかった。勝ったチームが握手を求めてきて、悟丸はそれに応えた。こういう時に浮かべる笑顔はあいまいだった。あの女はどこかで自分のことを見ているのだろうか。そう思うと初めて悟丸に恥の感情が芽生えた。身を隠そうと辺りを見回すと、観覧席で一心にゴミを拾い続けるサポーターが目に入った。何の見せ場もない試合だったが、少なくとも彼らだけはこの試合を楽しんでくれたような気がした。そしてこれからも自分たちを応援してくれるような気がした。

 「かたじけない」

 悟丸はつぶやくと、ピッチに唾を吐き捨てそこをあとにした。



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