第180期 #10

坩堝

 無辜の兄妹がいた。彼らには親も身よりもなかったが親友がいた。太陽の燦々と降り注ぐ中、親友は無辜の妹と婚約し無辜の兄はそれを祝福した。そののち妹は殺された。膣と尻の穴が裂けるほど犯され死ぬまで殴られた、変わり果てた姿で発見された。親友は暗い憎しみに明け暮れ復讐を誓ったが、先に殺人者を見つけたのは無辜の兄だった。殺人者は心臓が抉られた姿で遺棄されていた。親友は裁かれぬ殺人者を探して彷徨う復讐鬼となった。けれども兄はまだ無辜だった。
 不幸な母子がいた。子には手足がなく心臓は腐りかけていた。我が子の瞳の中にある太陽を蝕むように映る母親の黒い影に潜んでいる淀んだ何者かが決して逃さぬという呪いをかけたかのような我が子の哀れな姿は罪深い自らの魂の生き写しであるのだと母は苦悩した。母は密かに身ごもり、赤子の心臓を抉ってその血を子に飲ませた、せめて痛みの和らぐようにと。すると心臓の腐敗はたちまち止まった。赤子の声で次の犠牲者の名を囁く我が子の声を母は聞き、そうあるだけだと縋るように受け入れ殺人者となった。殺人者は声に従って犠牲者を捕え、身体の一部を奪って殺した。奪った一部は息子の失われた身体に適合した。殺人者は奪い続けた。
 苦悩する男がいた。苦悩する男は自らの衝動と存在意義について悩み、迷い、拒んだ。あるとき意識と現実の境が決壊し、女を襲った。苦悩する男はそうあるだけだという境地に至り、男は殺人者となった。
 殺人者は殺人者を見つけた。殺人者は殺人者を殺してその心臓を奪った。その心臓は子にぴったりと適合した。子はついに目覚めた。
 心臓を奪われた男の母が復讐鬼の前に現れ、ほのめかすように殺人者の名を告げた。
 復讐鬼は殺人者を探し出して殺し、ついに殺人者となった。殺人者はその場で自殺した。手足の生えた空っぽの肉体だけが残され、子は復讐鬼にも殺人者にも、何者にもなれなかった。
 無辜の兄がいた。無辜の兄は復讐鬼となり、親友を奪った空っぽの者を殺し、殺人者となった。殺人者は跪き、復讐鬼の断罪を待ったが、誰も現れなかった。殺人者は自らの存在に苦悩し、そうあるだけだという境地に至った者達の存在を知った。
 かつて無辜の兄だった復讐鬼であり殺人者でもある義兄にも伯父にもなり損ねた苦悩する不幸な男は自らの手足を切り落とし心臓を腐らせた。瞳に映る焼け爛れた太陽を月はゆっくりと蝕んで、やがて黒い朝が訪れた。



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