第175期 #1
喉がカラカラに渇いていた。
彼女を抱きかかえると未だ身体は暖かい。けれどその身体は軟体動物のように力なく弛緩していた。誰もいないことを確認してから車へと運び込んだ。
こんなつもりはなかった。僕はただ彼女が好きだった。だから恋人ができたと笑う彼女にせめてもの思い出作りに夜桜見物に誘ったのだ。これで終わりにしようと決めていた。葉桜に変わるころにはただの知人としての立場に甘んじようと。名所は騒がしいから嫌だと、彼女が言った。だから彼女の家の近くの公園に来たのだ。大きくはない池がありその周りを桜が植わっている。煌々と天に昇る月のせいで、夜の割に明るい闇だった。桜はほの白さを纏い、心のなしか発光しているようにさえ見えた。穏やかな夜だった。ふと彼女が空を仰いで呟いた。
「月が綺麗だね。」
他意なんてなかっただろう。それなのに僕は深読みしてしまった。彼女がそんなつもりで呟いたわけではないことくらいわかっていた。なのに馬鹿馬鹿しくも僕は聞いてしまった。
「死んでもいいって?」
ここで間違えたのだ。僕はそう訊くべきでなく彼女はこれに「何の話?」と怪訝な顔をすればよかった。そうすればなにも失敗など起こらず、ささやかな恋が一つ終わるだけで済んだのだ。それなのに、彼女あろうこと微笑んだのだ。
間違えてしまったのだ。気が付けば僕は君の首に手を伸ばしてしまった。ペンキの剥げかけたベンチにその身体を押し倒し、力の限り白い首を締め上げた。しばらくして、彼女は動かなくなった。
不幸が重なったのだ。月が綺麗だった。公園には桜以外なにもいなかった。僕が間違った問いかけをした。彼女があまりにも美しかった。
公園の側につけていた車のトランクに彼女の身体を横たわらせる。丁度よく大きなシャベルが一つ入っていた。近くの山へ埋めてしまおう。ああそうだ、桜が咲いている山がいい。月が見えて桜が咲くところ。彼女が一人でも寂しくないように。そこに咲く桜はきっと来年からより綺麗な花を咲かせるだろう。
山道の途中で車を止める。これ以上は歩いていくしかない。彼女を抱えて、彼女が永遠を過ごすに相応しい場所を探そう。桜が咲いて月が見える場所。
トランクを開けると彼女がいた。息を止める。彼女の黒い両目と、視線が合った。一瞬だった。何もできなあった。鈍色のシャベルが目の前に迫って、
「失敗したなあ。私が殺されそうになるなんて。」
そう言ったのは、