第174期 #6

結石

 両膝を地面につき、四つん這いの姿勢のまま身体が動かない。
「手を貸しましょうか?」
「はぁぁあぁえ」
 冴えない返事になってしまう自分が情けない。
 気になる。
 声をかけてくれた女性ではなく、女性の背後にいるヤリ男を健二は気にしている。
 呼吸の浅いのが自分でも分かるほどに健二は動揺していて、とにかくヤリ男から離れなければと途端に思うのだが、四つん這いの姿勢はそう簡単にはほどけはしない。手のひらに食い込むアスファルトの突端が痛みを超えて今はしびれとなっている。アスファルトを避けるように、両手の中指、薬指、小指を曲げて抵抗を試みるが、体重のかかった手のひらはそう簡単には動いてくれそうにない。寒気と脂汗が健二を襲い、血の気が引いた感覚は確かにある。女性に顔を向けることさえ苦痛になり下を向いていると額の汗がしたたり落ちた。返事さえままならぬ状態で、ただ事ではないと感じつつも、何とか平静を装おうとすること事態が異常なのは当の本人には分からないのだと考えてはいるが、それが健二の中の健二の考えなのか、健二の外の健二の考えなのかが曖昧になってくる。
 しゃがんだ女性の膝頭はやけにごつごつとしている。火星か月を想像する。宇宙は黒ではなく紺。
 女性の膝頭に阻まれヤリ男は見えなくなってはいたが、そこにいるのは確かである。その証拠にヤジリの突端は右脇腹付近を激しくこついているのであるから。ヤジリの痛みは吐き気とともに健二を襲い、やがて目がかすんで口も渇いてくる。ヤリ男を防御することもできない。されるがままだ。ただ、呆然と半開きの口から粘度の強いよだれさえも出ないのを、モノクロームのフランス映画を観るように(実際の健二にはモノクロームのフランス映画を観た記憶は皆無だったが)自身の体内で起こっている異常な変化をどうしても自分自身の出来事とは感じられない。
 洋画とフランス映画。そらは青いはずだがどうでもいい。紺ではなく薄い青。雲はなくてもいい。
 草食動物が肉食動物に食われるとき、痛みは既にない。それが脳内で分泌される何とかという物質によるものだったか、死を覚悟する現実に対面すると、痛みを伝達する回路がシャットダウンされるかだったかを再認識する。
 恋愛映画を観に行く機会。脳内物質の検索。ヤリ男。青いそら。ひざがしら。紺。月の石。女性の顔は覚えていない。健二の意識は遥か彼方に遠のいていく。



Copyright © 2017 岩西 健治 / 編集: 短編