第174期 #11

遺品

 それは30センチメートル四方の平べったい木箱だった。昆虫の標本箱みたいにガラス張りになっており、祖父が言うには、その箱の中にはきわめて小さな体をした人間が沢山棲んでいるのだという。だから毎日水や食べ物を与えたり、日光に当ててやらなければならないのだと。

「この箱の中では、1ミリが1キロメートルの長さになる。だからね、この箱は九州がすっぽり入るぐらいの大きさがあるんだよ」

 しかし箱の中はカビのようなものが所々に生えているだけで、だた眺めていても面白いものではなかったのを覚えている。それに、アメリカやロシアが大きいことは知っていたが、当時子どもだった私には九州の大きさが上手く想像できなかった。地球儀で探したら、日本でさえ小さなシミにしか見えないのだから。

「もう50年も前になるが、一度、箱の中を顕微鏡で調べたことがあってね。カビの生えたようなところを覗いてみると、建物のようなものがたくさん集まっているところが見えたのさ。それで、もっと倍率を上げてみると、人のような形をしたものが幾つも動いているのが見えたんだよ。彼らは歩いたり立ち話をしているように見えたが、その中にじっと動かない人が一人だけいてね。その人が男か女かは分からなかったが、その時、お互いに目が合ったような気がしたんだ」

 祖父は昨年死んでしまったが、葬式では、その箱の話はまったく出てこなかった。祖父の娘である私の母にそれとなく尋ねてみても、何の話かピンときていないような反応だったし、母方の親戚も皆、私の質問に妙な顔をするばかりだった。
 後日、遺品整理のために祖父の家で作業をしていると、それらしい箱を見つけてしまった。しかし、その箱は既にガラスが取り外されており、カビのようなものも見当たらなかった。

 それからしばらく過ぎたある日、私の自宅にスーツを着た女性がやってきて、祖父の箱を譲ってほしいと言ってきた。私は、遺品として貰ったものだから無理だと言ったが、女性はその箱がどうしても必要なのだと言って、私に百万円の札束を差し出した。私は、その場で5分ほど腕組みしながら考えたあと、そのお金で一緒に九州旅行へ付き合ってくれるなら譲ってもいいと彼女に提案した。すると彼女もまた5分ほど腕組みしたあと、分かりましたと言って了承した。冗談のつもりで言ったのだが、彼女の真剣な顔を見ていると断るのも悪いし、箱も、もういらない気分になった。



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