第165期 #17

巨人

 ニャーとさえ鳴けばよい、という情報だった。
 私はそのとき、広場に現れた一本の市民の列に並んでいた。
 ニャーと鳴く仕組みの入った縫いぐるみを一つ抱えながら。
「ほら、アリさんが行進してるよ」と少女は、私の足元を差して言った。「ぜったい踏まないでね、巨人さん」
 つまり巨人とは私のことであるが、縫いぐるみを抱えたり、黙って列に並んでいる巨人なんて聞いたことがない。
「だけど、巨人が何したって自由でしょ。うたを歌ったり、おしゃれをする子だっているはずよ。……人間をふむのは駄目だけど」

 市民の列は、見えない障害物を避けるように大きく歪んでいた。時間が経てば列の歪みも変わっていくのか、それとも見えない障害物はその場所からずっと動かないのか。
「ねえ巨人さん」と少女は質問した。「どうしてみんな不幸な顔してるの? 鏡で自分の顔をみたら、きっと死にたくなるわ」
 今はうたを歌うことも、おしゃれをすることも忘れてしまったのさ。みんな帰る家がないのだ。
「ふーん、ところでその猫、なまえ何ていうの?」
「ぼくは猫じゃなくて熊だぞ!」と縫いぐるみは喋った。「ニャーでも、ワンでも、ガウーでも鳴ける、自由な熊なのさ」

 そんな会話の最中、空から大きなヘリコプターが降りてきて激しい土ぼこりを巻き上げた。市民が列から離れまいと爆風に耐えていると、ドレスやスーツ姿の一団がヘリの中から現れた。
「本当はね」と縫いぐるみは言った。「ニャーと鳴く必要なんてないんだよ。みんな、本当はそのことを知ってる」
 ドレスやスーツの一団が静かに合唱を始めると、列に並ぶ市民はそれぞれの表情を浮かべながら沈黙した。
 私は、そのお喋りな縫いぐるみを少女に渡して列を離れた。
「ねえ巨人さんてばっ!」と叫ぶ少女の声が広場の合唱に埋もれながら響いた。「この子泣いてるよ! 生意気だけど、まだ子どもなのよ!」

 それから20年後、遠くの街で少女と再会した。
 彼女の顔はすっかり忘れていたが、何度も「巨人さん」と呼ばれているうちにやっと思い出すことができた。
「縫いぐるみはね、しばらくすると喋らなくなったの。電池交換をしても駄目だったから、あたし広場へ行ってあなたを捜した。でもあなたは二度と戻らなかった」
 彼女の話では、あの見えない障害物は今でも動かないままだという。
「巨人はね、自由だけど歌うことを知らなかったの。でもそれは、本当の自由ではないような気がして」



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