第165期 #15

郷愁のコロンビア

気分で珈琲をいれることが山川の日々の習慣であり、娯楽であり、官能の時間なのであった。今朝はコロンビアスプレモとガテマラを2:1で混ぜあわせて豆を挽く。

コロンビア。国民の5分の1が珈琲の生産に携わっている。ブラジルのような大農園とはちがって小規模の農園主たちがコロンビアコーヒー生産者連合会なるものをつくっていて、イメージキャラクターにファンバルデスがいる。昔は香りもよく質の高いティピカ種がメインだったらしいが、今では生産性の高いバリエダコロンビアなどの変種がメインとなっていて、味の特徴はとにかくマイルド。

山川は思う。マイルドコーヒーの代表格という、いいかえれば個性のないコロンビア。その昔の味を飲んでみたかった。

コロンビアといえば麻薬戦争の土地でもある。珈琲産業は表の顔で、裏にあるのは血みどろの歴史である。

ガテマラのキュンとした、オレンジのような爽やかな酸味をコロンビアに加える。コロンビアスプレモが大粒なのに対してガテマラは小粒でかわいいと山川は思う。

できあがった山川ブレンド、今朝は『郷愁のコロンビア』と名づけて、そのマイルドな甘みに加わったほのかな酸味を楽しんだ。それから山川は出勤までの時間、日記帳を開いて明日の日記をつけはじめる。

毎日、シフト表に従ってきっちり10時間拘束される。薄給で特にこの先大金をつかむ見込みもない。ささやかな生活を維持することはできるだろうが年齢と容姿とその割に理想の高い自分の性格からして、このまま独身ですぎていくだろう。

ある日山川は、日々の日記をつけていくうちに、自分の毎日はほとんど同じで、仕事のシフト表が人生そのままであることに気がついたのだった。

『だったら、明日の日記を書いてみよう』

そんなわけで山川は毎日早起きすると、出勤までのあいだに珈琲を飲みながら明日の日記を書くのである。唯一記さないのは、どの珈琲豆を飲むか。それだけは当日決めるのだ。だが何を食べたり何を買いに行ったりするかはあらかじめ前日に決めている。

とくに食事については、一週間のメニューを最初に決めて値段や調理手順まで書いている。この習慣で、山川は初めて貯金の概念を手にしたのでもあった。

山川はコロンビアスプレモとガテマラのブレンドをのみほした。明日の日記も書き終わったので、出勤の準備をはじめる。

『欲望をこえた、何か大きなことのために生きたい』

山川はふと、そんなことを思いはじめる。



Copyright © 2016 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編