第165期 #13

忘却の街

 目が覚めるとカレンダーにばってんをつけます。今日もわたしはまだ夢のなかです。いたはずの人はもういません。空くはずのお腹はもう空きません。窓辺に寄ってくる鳥ももういません。餌をねだりに来ていた猫ももういません。
 空にはぽっかりと穴があいています。そこから降ってくる黒いものは空気にまじって消えていきます。消えていくといってもなくなるわけじゃありません。見えないけれどもそこにあります。そこにあるはずのものを確認しながら日々を送っています。
 見えないものとあるはずのものとを繋げて考えるのには正直に言ってもう疲れています。見えないものはないものとして考えるほうがずいぶん楽です。実際のところ一時期は本当にそうしていました。あれもないこれもないそれもない全部ない。けれどもそういうわけにもいきませんでした。そこにあるはずのものはなんとかしてその存在を主張しようとし続けるのです。
 わたしにカレンダーにばってんをつけさせ続けるのです。
 地面にはばっくりと穴があいています。落ちていくことは簡単ですがわたしは器用にそれを避けて歩くことができます。穴に落ちたらもう出られません。見えなくなって消えてしまいます。確かにそれだけではなくなるわけじゃありません。けれども見えないものを忘れることは簡単です。
 わたしはもうたくさんのものを忘れてしまいました。これ以上忘れてしまわないように今日もわたしはカレンダーにばってんをつけます。いたはずのものを数え直します。いたはずの家族はもういません。苦しいはずの呼吸はもう辛くありません。外を行き交っていた車はすべて姿を消しました。高く聳えていたはずの樹々ももうありません。
 ときどき穴を覗き込みます。足が震えて落ちそうになります。そのまま落ちてしまってもいいかもしれないと考えます。そうしてわたしは確認します。わたしはまだ穴を怖いと思っています。ここから逃げたいと思っています。わたしはまだ大丈夫です。
 今日も空から黒いものが降ってきます。あれはないものです。ないものです。



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