第164期 #14

銀座・仁坐・肥坐

今から4年前、2012年4月、熊本に初めて訪れました。わたくし吉田は、某放送局のイベントの機材輸送のため、ちょっと特別な輸送のため、立会いをしに向かったのでした。初めて阿蘇熊本空港に降り立ちまして、阿蘇山の麓に広がった大平原にアメリカでイエローストーン国立公園にある、ジャクソンホール空港と重なり、こんな世界有数の自然の真っただ中に数百年続く、日本で5‐6番目の大都市が存続しているのはとても珍しい。空港から4−50分ほどで熊本城下の都市が出現します。明治以降、国全体の行政上も5番、6番の位置を維持しており、その他の九州の歴史ある藩も明治維新の様々な事情により淘汰され、現在は鹿児島でも熊本でもなく福岡になっており、東京の銀座と並ぶ、その福岡の繁華街は中洲である。ここには九州中の夜の飲食街の中心であり、女子でも男子でもいつかは中洲、その次は関西、関東なのだが、クラブ女子は中洲の次は東京になるようである。
さて、熊本は熊本城下の町並みが引き継がれ、建物は違いあれ、古地図を当てはめると、そのままの町並みが、引き継がれた商店がほぼ並んでいる、これは市民が集まり、業として継承する、近隣に広がった熊本県下も城下町に自然に集まり、盛り場が続いている。やはり、九州の中心地であるため、九州各地、西日本や、関西、関東の人間が通っても温かく受け入てれくれる。2012年の4月滞在は1泊でしたが、放送局の幹部の方と倉庫を改造した居酒屋で、定番の馬刺し、赤牛、辛子蓮根を味わい、午後8時開店の飲み屋さん開店時間に繰り出し、2軒伺いました。1軒目は銀座通り1本手前の酒場通りと栄通りの角にあり、テーブル4つのカウンターのお店で、ママが一人でやっている、かなりつまみが豪華で居酒屋で食事もしたので、満腹になりました。2軒目はクラブ通りと栄通りの角、大物司会者Mの行きつけだった店で、吉田と同年代のママさんは懐が深い温かみのある趣のママ。いずれの店もママで持っている感じ、若い娘は似合わないとても大人のお店でした。その歴史ある由緒ある城下町が破壊された。訪れる誰でもが通る熊本市内への川沿いの活断層に沿って、余震、前震、本震と入り乱れて徹底的に攻撃を受けた正しく本丸は辛うじて耐え留まった。阿蘇山が噴火した数百万年前は群発地震が襲ってくる時期が数百年続いたともいわれており、自然も人間も歴史は繰り返し、さらに歴史を刻む。



Copyright © 2016 Gene Yosh (吉田 仁) / 編集: 短編