第163期 #21

家のするめ

 仰げば尊しを歌わなかった卒業式から時間が経ってしまい、赴くままに食事をするなどして過ごした数年間、学んだり学ばなかったり、働いたり働かなかったり、裏切ったり信じたり。
 朝遅く目覚めた可憐な祝日の日に気づいた。最初の家族がみんないなくなってしまった。さみしい。
 血の繋がった兄妹たちの結婚、そしてふた親たちのかなしいお別れ。ぼくの就職。ばいばい、ぼくは家に一人ぼっちだった。そしてようやくのこと、ぼくは、異様に手を差し延べたがっていて、その先に温度のあることを望むひと塊の一種別だという認識にあっさりと悩ましく絡めとられた。
 ぼくは、ぼくにする言い訳を考えた。正しく考える頭を甘く痺れさせて、笹呉だった魚の鱗みたいな世知辛さをひっぺがえすような、あなたの許に行く理由。手を握りたい。
 慌てふためいて準備して、リュックを背負い、走り、電車に乗り、すると山が見えた。うつくしいうつくしい。
 あなたは、玄関で迎えてくれた。そして家の奥の居間のソファに腰掛けた。ぼくは尋ねた。
「何しているの?」
「するめを味わっている。通販した」
 声に、瞳に、あなたは自信をみなぎらせていた。眉唾じゃない。真剣だ。何万回噛み潰したんだあなたはするめを。
 文法で言ったら従属節になりたいんだと、ぼくは風変りな物言いだねという批評を受けたいが為だけの言葉であなたを困惑させる。あなたは手繰っていた本を読みさしてしまう。
「すべてを愛したいね」と、言ってくれたらその意味すべてを引きうけることが可能な時間帯がいま静かに訪れてきていた。真実であると妄想に浮かれるほどの確実の中で、終わりめく祝日に、荘厳な、豪華絢爛な、ふくよかで破廉恥なこの機会が訪れてきていた。念願の証明の時。けれどもあなたは言ってくれない。
 ぼくの言う番なのかもしれない。でもすみません。ぼくは正直者だけど、本当のことはおそれおおくて口が裂けても言えない。ぼくには、責任など、一切持てやしない。
 でもこのまま言わなければ、この類まれな空間が無反応で凍りつき、いくら後悔しても復元不可能な事態になるかもしれない。開けばいいのに心が。うわついて、言葉がすべりこめばいいのに。
 でも言わなくてもいいのかもしれない。真偽と虚偽、光と闇とか、そういう言葉上での二項対立がおかしいのかもしれない。
 なんて思う間にあなたがぼくを見た。吸い寄せられた。ぼくはソファの君の隣に座った。



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