第162期 #21

 離婚した。お正月・彼の実家に行って、私が姑の料理を手伝っている時、手順が違うと姑に叱咤された。それを彼が守ってくれなかったから。
 子なしの幸い。けど一人で暮らそうにも残高僅少。出戻った。
 実母に敵対される。
「あなた幸福にはなれない」
 それから母に、嫁入の時に白無垢を着るのは一度死んで違う家で新しく生まれ変わる為だという豆知識を教わった。
 梅の香の季節。バスに乗る。行先は弁当工場。面接の為。思いのほか気分が良い。私にとって人生上のブランクは僥倖のようだ。座席のシートが暖房で暖か・私はうっとりと眠ってしまった。

「終点」
 起きたのはそう言われて肩を触られたからだった。目の前に老女がいる。
「どこへ行きますか?」
 私は工場の名を告げた。眠っていたから、降りるべき場所も向かうべき面接の時間も過ぎていた。三十二歳の身空、再就職の面接蹴る。
「案内します」
 老女に連れられて終点のバス亭から最寄の駅まで。
 道々、老女は問わず語りに工場の悪口を言った。旦那が早死にしてその工場に勤務していた。正規職員がひどい男どもで後家だと言って体に触ってきた。日本人の男の頭は狂っている。
 話が嘘じゃない証拠にと、老女は鞄から白い手袋を取り出した。ゴム製・半透明・作業用。弁当工場からくすねてきた記念品らしい。
 老女が言った。
「私これでも大学を出ています」
「そうですか」
「老人の妄執だと思った?」
「そんなことは」
「日本の政治も仕組も、男も家も、女を守らない」
「それは個々人の考え方で」
「こういうイデオロギーに塗れていてもいいじゃないか」
「どうして?」
「もう死ぬ」

 あなたがどこの家の娘か知っている。
「そう」
 私は偶然、母の知人に見つけられて貴重な訓告を賜っていたらしい。
「これからは誰も頼れない」
 そう言ってから突然、老女が道の向こうに手を振った。その先に子供がいた。
 訊ねた。
「誰?」
「孫。私の」
 そして老女はゴム手袋を口許にあてて息を吹きこみ、膨らませる。
 何をしているのか。
「意気揚々と戻ってきやがって」
 誹りながら老女はその手型ゴム風船で私の両目を器用に突いた。私は目を瞑る。瞼に幽霊の指先の感触。私はすぐにそれを振り払う・目を開く。孫のほうへ足早に向かう老女の背中が見えた。
 もちろんその背骨を砕くほどに殴りつけることはできる。けれども彼女は近々寿命でいらっしゃる。代わりに私は足元の白いゴム手袋を踏みにじった。



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