第162期 #1

埋め干し

診察室から表情の重い数人が出てきた。むしろ追い出されたと言うべきだろうか。八十歳を超える高齢で、植物状態のため常に点滴を欠かせない患者の家族は、こうして毎日の如く病院に通っては医者に哀願している。長く入院すればその分の金が入る構造のため、医者も、会話も食事も出来ない伽藍の命を必死で延長するのだ。
私には、不動の蛋白塊の心拍を、多額の医療費を払ってまで持続させんとする家族が非常に不気味であった。そして、家族の濫費を悠々と手中に収めては蛋白塊に透明液を惜しみなく注ぎ込む医師が、堪らなく厭わしい存在に思えた。ナースステーションで昼食のコンビニのお握りを貪りながら、私はしばしばこのようなことを考え、眉間に小皺を寄せた。
緊急呼出のブザーがなったのは、ちょうど南高梅のお握りの二口目を口に含んだ瞬間であった。ステーションには私以外のナースが不在であった為、私が出向く他無かった。機械的に整形された白米から、痛ましく紅い梅が顔を覗かせていた。
液晶に表示された病室の番号を追って、わざとらしく小走りをした。突然の呼出に、唾液腺も驚きを隠せず、舌根に蔓延るアミラーゼが不愉快だった。病室の前で立ち止まり、掲示された名札を一瞥すると私は一抹の安堵を感じた。醜い家族に往生を邪魔されてきた例の老人だった。私は背後に気を遣い、黙って病室に入った。老人は、目を引ん剝いて緊急呼出のボタンにしがみ付いていた。来院してから一度として動くことのなかった老人の敏活な姿に、思わず動揺した。傍若無人な家族と医師の所為で、安静な死をも奪われた彼の、余命を振り絞った反抗にしか思えなかった。私は心から同情した。そして、心を落ち着けると、静かに口に接着された酸素マスクを剥ぎ取った。老人は二度ほど咽た後に柔和な表情で眠りについた。同期して、心電図も直線を描き始めた。
僅かな間を置いて、緊急のブザーが喧しく鳴り響いた。ぞろぞろと看護師や医師が急いで来た。自分の責任の範疇外で起きた死に群がる様は野次馬のそれと寸分も違わない。遅れて主治医が部屋に着くと、少し落胆したような表情を見せた。それは余りに滑稽で、私は思わず緩みかけた表情筋を決死の思いで押さえ付けた。間もなく遺体の始末などの雑用を担当の者がそそくさと行い始めた。
私はステーションに戻り、持ち場に帰った。米に埋もれた梅肉が、尚も蛍光灯の光を反射している。



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