第16期 #23

口がすべりました

 はい、よろしいですか。
 この古い森には森と同じくらいの年月を重ねた天狗の一族が住んでおります。
 天狗の移動には風がつきものですから、風の強い時間帯にはどうぞ旅館の外へは出られませんように。当ツアー添乗員による館内放送が流れますので、お聞き漏らしのないようお気をつけ下さいね。
 特に若い娘さんや小さなお子さんがいるご家族はご注意願います。
 彼らは虫の居所が悪ければ人を害したり、喰らったりします。(中でも子どもの柔らかい肉を好みます)
 そして機嫌の良い日には他愛も無い悪戯をしかけたり、恋をして森の奥へ連れ去ったりします。(概してよい香りのする妙齢の娘さんを好みます。さらわれたらもう戻って来れませんから心して下さいね)
 ですが付近に湧き出る温泉は、美貌と健康をお約束する特一級の美人の湯、晴れた夜ともなれば満天の星が天球を巡り、一晩で数十もの流れ星を御覧になれるでしょう。風に油断されない限りはこの上なく心地良い休暇をお過ごしになれる事、間違いありません。

 おや、そちらの奥様、お笑いですね。
 ははあ。これほど文明の発達した現代に天狗も河童もない、そんなものは御伽噺の中にしかいない迷信の産物だと子どもでさえ知っている、と。成る程、成る程。
 ではもう一つだけ、とっておきの秘密を教えて差し上げましょう。ここだけの話ですよ。
 人間にも色々な人がおられますように、時折、天狗の中にも「変わり者」が生まれます。
 そ知らぬ顔で人の群れに溶け込み、人の習慣を学び、人のように会社に勤め、余暇を楽しみ、妻を娶り、子をなして、加齢を重ねるふりをして少しずつ年老いていくように見せかけ、妻が亡くなると外見の抜け殻だけを置き去りにして、ひっそりと森へ帰る――
 そのように「人の一生」を模倣する奴が。
 その手の変わり者は「狭間者」と呼ばれ、森へ帰っても皆から遠巻きにされますから、ほとぼりが冷めた頃、再び人の社会へ舞い戻って行く、と言うのを繰り返す場合が多いようです。
 どうです、身の回りでお聞きになられた事は? 愛妻家――または恐妻家――の真面目な働き者で、奥様を亡くされると、ふっつり糸が切れた凧のように後を追って事切れてしまうご亭主の話。
 ええ、よくある話です。
 つまりはそれだけ、人の社会における「狭間者」の数が増えて来ていると言う事になりますね。これも時代の流れなんでしょう。



 ちなみに私はこれで五回目の……


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