第16期 #16
竹井さんの傘は、とても小さかった。
ようやく体を覆えるくらいで、ちょっとでも風が吹いたら憐れなものだ。そこそこ背の高い竹井さんには不釣合いで、その姿を見ると可笑しくなる。
一度だけ、一緒に入れてもらったことがある。
私が傘を忘れ、急ぎ足で会社から駅に向かっていると、竹井さんが声をかけてくれた。一緒に、とはいっても、ひとりでも覆いきれない傘だ、ふたりでどうなるかは自ずと知れる。私はまだしも、竹井さんはほぼ、なにも差していないような有様だった。
「実はね、雨が好きなんですよ」
竹井さんは、髪の毛から滴をたらしながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「小さいころ、雨に濡れて帰ってくると、服を脱いで、体をひととおり拭いて、下着を着替えさせられました。そのままの格好で、体が乾くのを待ちます。体に張り付いていた産毛が、乾いてそっと離れていく。そうしている時間が好きで、わざと傘を差さずに帰ることもありました」
雨が体を濡らす。駅に向かう足取りは、いつの間にか、ゆったりとしたものになっていた。
「ならこんな小さな傘なんて放り出してしまえばいい、と思いますか?」
私は、こくりと頷いた。
「けど、そんなのは子供のやることだ、とどうしても思ってしまうんです」
「でも大人なら」
あわてて出した声は、うわずってしまった。気持ちを静めて、続けた。
「ちゃんと大きな傘を、差すと思います」
竹井さんは、そうですね、と言って、雨に濡れた顔で、やさしく笑った。
その竹井さんが、足の骨を折って入院した。
昼食をとりに外出したとき、交通事故に遭ったそうだ。仲のいい同僚や上司たちは、連れ立ってお見舞いに行っていた。私は、部署も違うし、プライベートでの交流があるわけでもない。
入院して二週間もたち、お見舞いもひと息ついてきたころ、予報はずれの雨が降った。あいにく傘は持ってきておらず、未練たらしく傘立てを見ると、ひときわ小さな傘があった。竹井さんが事故に遭ったあの日、そういえば朝は雨が降っていたように思う。
私はためらいもなく、その小さな傘を手に取っていた。
ひとの傘を勝手に使うのは気が引けたけれど、届けてあげるのだ、それくらいは許してもらいたい。
いくら私が小さいとはいえ、こんな傘で斜めに降る雨をふせぎ切るべくもない。雨は服を濡らし、体に張り付かせる。傘なんて、放り出してしまいたかった。子供ですね、と竹井さんは笑うだろうか。