第153期 #8
私が手を挙げると隣の男も真っ直ぐ手を挙げた。監督官が男を指し、室内からまた一人いなくなった。八人。監督官は椅子にかける一人一人の前に立つと、今度も家族に関する記憶を語るように短く促した。皆が淀み淀みようやく絞り出すように語ると監督官は握り締めた拳を振るった。歯を遠慮がちに床に落とす音が順々に起こり、監督官は私の前に立った。私は娘が赤い爪切りを抱いて寝たがったことをはじめて思い出したが、すぐに空想との区別がつかなくなった。私は殴られた。監督官は待っていたが、今回は私の歯が堪えた。新たに八つの記憶が追加されると監督官は所定の位置について死にたいものは挙手するようにといった。今度は私だけだった。室外には監督官と同じ制服をつけた男が退屈そうに待ち構えていた。男は一言も発さぬまま光の差さない室内に私を押し込んだ。床の意識が保てなくなるまで動かなかったが暗闇は一定だった。壁伝いに進むとすぐに何かにふれた。耳を澄ますとかすかに声が聞き取れた。泣いているようだった。すると衣擦れに似た同じ音がいたるところでこだましているのに気づいた。ここから出たくはないかと耳元で低い声がした。私はここに五年いる。そんなわけはなかったが私の腕をつかむ手を引き剥がしはしなかった。床が土に岩に、見えているような足取りについて歩くと金属の凶暴な音と共に光が戻った。しかし光は弛まなかった。白い中で低い声がいった。この馬に乗れ。腕が私を押し上げて馬らしい上に跨がるとまもなく上に下に動きだした。馬に従えといった声が遠ざかる。おまえはいかないのか。私はここに五年いると低い声が大声でいった。揺れの中で痛みだけが感じられた。起伏と石を踏む音に移って百が百度現れるころ馬だと思っていたものが力尽きた。私を下に敷いたそれはきれいな発音ですまないといった。低い声だった。私の脚が軋み石が鳴った。白い中で長い時を過ごした。おまえはここで死ぬのかと私の上で声がした。聞き覚えのある声だった。私は記憶の部屋を訪れ、声の主をさぐった。父母でも妻でも子供たちでもなかった。部屋のどこかで聞き覚えのある声がする。すまないが私はおまえを助けることができない。私は石を踏む音が遠ざかっていくのを聞いた。おまえはどこへいくのだ。わからない。だが、おまえのかわりにいこう。部屋のどこかで声がした。聞き覚えのある声だ。私は目をひらいた。そこに声の主はいた。