第152期 #8

ページの向こうに

 もし人生が開かれた本なら、私はその上に立って、一ページぶんの過去と一ページぶんの未来を読むことができる。このページをめくれば、君はそこにいるだろうか。
 しかし、私は開かれた本ではない。過ぎたことは一瞬で隠れ、少し先の未来すら読めない。私が立つ今の地点にだけ黒い文字がある。言葉は自分が思う瞬間にだけ言葉になり、次の言葉へ思考が移ったとたん、落ち葉のように体から離れてゆく。
 はらはら数限りない落ち葉の向こうに、私は君の姿を見る。君は公園をゆっくりと歩いている。日光と戯れるようなしぐさが、しなやかな手首が、君を印象づける。またいつもの君だ。まだ、いつもの君だ。
 目が合うと、ぱっと鏡のように笑顔を返してくる君は、鏡の下では誰もいない公園を歩いているから、並んで歩くと、君の心はすぐに私の隣を離れてうつろな横顔になる。私は君に、今からここで二人に始まる物語を読んでほしいのだけれど、言葉がせめぎあいすぎて、行く先が真っ黒に隠れてしまう。そして君は君のページの間で、その先の君の物語を読まないようにしている。これから先のページには、悲しいことや苦しいことが書いてあるに違いないから。そんなことを、読みたくないから。そう決めつけて、澄んだ瞳で君は梢の間の青空ばかり探している。
 私たちは別々の本だ。言えない全ての言葉を散らして今の一行の上に立ち尽くす私と、閉じたページを持つ君は今日も出会った。明るい陽射し。揺れる木漏れ日。私は君を手振りで池のボート遊びに誘い、君は断った。――そんな気分には、なれない。
 今日も、君は新しいことを始めたいとは思わない。
 ――でも、ありがとう。
 私が今日も誘ったことを君は励ましと受け取める。君の視線は私の体の包帯箇所を通り過ぎ、遠くへ行く。
 ――私も、もっとがんばったら、いいのかな。
 君は次のページをめくろうとして逆にさかのぼってしまう。君は現在から離れて前のページに戻り、君だけが知っているそこを何度も何度も繰り返し歩く。誰も現れない公園。落ち葉がはらはらと散っている。君しかいない公園。悲しいことは全て起きた後。濡れた地面に靴が埋まり、足跡の型がつく。私が君にかける言葉はページの裏側に隠されたまま。私はページのこちらで君への言葉をしきりに振り落とし、君が私のページに現れるのを待っている。



Copyright © 2015 赤井都 / 編集: 短編