第146期 #17
ななめに、倒れるか倒れないかぐらいななめに立っている人を見てしまった。私は沈んでいく夕日に、ただサヨナラを言っていただけなのに。
「やあ神様」とななめの人は私に言った。「あるいは人間かもしれないが、もしお前が人間なら、うっかり詩を書くこともあるだろうね」
ななめの人の隣には、誰も座らない椅子が一つ置いてある。
「君にはいろいろと事情がありそうだな」と私は言葉を返すと、夕日に背を向けた。
「きっと誰にだって事情くらいあるさ」とななめの人は私の背中に言った。「でもみんな事情なんてない振りをして生きている。大抵は恥ずかしいことだからね」
私は家に帰ってテレビを点けた。どういう話題か知らないが、番組の司会者もまたテレビ画面の中で「恥ずかしい」と言っていた。妻は台所で夕飯の支度をしながら「東京には空がない」と詩を暗誦している。
「どの空も同じで、ほんとうの空なんてないとしたら、私はいったい誰なのか」
そして彼女の子どもはプラスチックのおもちゃを抱きしめながら、窓の前に立って暗い空を見上げていた。「UFOでも見えるのかい」と私がたずねると、子どもは一瞬振り返ったあと、黒い雨が降っていると答えた。
しばらく経ったある日、私は、ななめの人が電車の中でななめに立っているのを見かけた。周りの乗客は気にしていないようだったから、私も気にしないフリをして吊革を握っていた。やはりななめの人の隣には椅子が一つ置いてあったが誰も座ろうとはしなかった。よく見ると椅子の背もたれには「アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である」と小さく書いてあった。
私は目的の駅で降りると、改札を抜け人ごみに紛れた。そしてこの世の中に野蛮でないことがあるだろうかと、心の中で反駁した。スクランブル交差点は人であふれかえり、そこら中にヒュンヒュンと銃声が飛び交っている。きっと戦争が始まっているに違いないのだが、ニュースでは全く話題にならないし、人々が銃弾に倒れていっても、歩みを止める者は誰もいなかった。
交差点の中央にはあの椅子が置いてある。
私は人ごみを掻き分け、椅子に腰掛けながら空を眺めた。何もない青い空を10秒も眺めていると、ここがどこか分からなくなった。するとふいに誰かが傘を差し出して私の視界を遮った。
「ほら、雨が降っているじゃないか」とその人は言った。「この世にも、野蛮でないことは一つぐらいあるさ。早く家へ帰りな」